日別アーカイブ: 2008-08-18

「篤姫」の音楽、再び

先週、群馬県に行っていたので観ることができなかったNHK-TV「篤姫」を土曜日の再放送で観て、昨夜、その続きを観ました。話もいよいよクライマックスにさしかかる兆しが見えてきましたがやはり音楽が秀逸です。いわゆる劇伴ですが説明的でなく絵の一部となっているとでもいえるでしょうか。空間の一部です。ふと気づくと音楽がある。覚えやすいメロディは一切ないのに音楽が機能するこの劇伴は不思議で素晴らしい。ドラマの方は篤姫のストレートでフェアなキャラクターの設定が閉塞感のある今日にあっては共感を呼ぶのであろう。歴史的な評価は二の次に回し、激動の幕末に翻弄されているかのようですがその時その時の自分自身の感じ方と考え方で物事を判断していく篤姫の描き方は観る人を惹き付ける。このあたりは原作の宮尾登美子の描き方が色濃く出ているのでしょう。そうそう、昨夜の孝明天皇はよく見ると東儀秀樹でした。ひちりきを俳優自らが奏することで違和感のない画面(舞台)となってこれもよかったが、演奏家そのままで役を演じていることが少しおかしかった。
「篤姫」の音楽の対極はアンドリュー・ロイド・ウエッバーの音楽だろうかと、今日、ふとしたことで森山良子が歌う「明日こそ、子供たちが・・・」をiPodで聴いてそう思いました。夜は夜で「オペラ座の怪人」を少し観てやはりそう思いました。アンドリュー・ロイド・ウエッバーの音楽はすべてが印象的な旋律で彩られています。編曲も演奏もいつも斬新だ。「オペラ座の怪人」の冒頭でパイプオルガンにエレキベースとドラムが重なる音はまさに戦慄する。「キャッツ」の多彩、「エヴィータ」の光と翳、等々、こちらも音楽が機能している。