音楽と哲学

■日曜日に近くの小学校の文化祭に行ってきました。3年生が「A Whole New World」を歌うのも関心がありました。この曲はニューヨーク大学のノードフ&ロビンズ音楽療法センターのセッションでもよく使われるとのことです。フレーズの終わりがなかなか来そうにない旋律の上がったり下がったりという繰り返しが発達障害がある子どもたちの心情に共感をもたせるのではないかとのこと。(船橋音楽療法研究室主宰の濱谷紀子さん談) 文化祭で子どもたちは日本語で歌っていました。伴奏の生ピアノの音楽性も高く、私は聴き入ってしまいました。
■名古屋の弦楽器店シャコンヌから展示会のダイレクトメールが届きました。夜、ふと、ヴァイオリンが聴きたくなってCDの棚を探りました。ヴァイオリンは学生オーケストラから弾いてきたので思い出も思い入れもたくさんある楽器です。今夜はちょっとノスタルジーに浸ってしまいました。
■京都教育大学管弦楽団でヴァイオリンを弾いていた頃、大学の先輩で大阪フィルの長尾正さんが演奏会などでいっしょに弾いてくれました。彼のヴァイオリンはオーダーメイドの“ニュー”で、ボディは薄く、彼の指に合わせてネックは細く作られていました。明るい色のヴァイオリンでした。チャイコフスキーの交響曲第5番を練習していたときそのヴァイオリンの音はつむじ風のように私を巻き込みました。音が空間に波を起こしていました。音が空気の振動で伝わることが目に見えるような圧倒的なパワーを感じました。彼の十八番はパガニーニです。演奏会後に酒を飲みながらヴァイオリンの話をしていて、「哲学が合う」という話がありました。ヘンリク・シェリングはバッハと「哲学が合う」、僕はパガニーニと「哲学が合う」というのです。弾いてみて初めてわかることだと思いました。哲学専攻の友人は「哲学とは思い切る原理」と私に話しました。哲学は自分自身の存在の理由といえるでしょう。楽器を奏さなくても音楽は哲学として私たちに生き方を問うものだと思います。
■急に寒くなって野球のスタジアムジャンパー?を着ています。肩周りがとてもゆったりしていて思わずピッチ&キャッチのモーションをしてしまいます。マラソンのアップにも使える。快適そのもの! でも、暑い!

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