日別アーカイブ: 2003-08-28

『ひかる・かいがら』~野田式音楽運動療法

■元ちとせの『ひかる・かいがら』ばかり聴いています。昨日、初めて聴いて、心に残る歌のひとつになりました。
■昨日は兵庫県三田市の財団法人ひょうご子どもと家庭福祉財団主催の療育研修会「野田式音楽運動療法」に行きました。1998年に放送されたNHKの「トモ君がしゃべった~音楽運動療法~」の野田燎先生の研修会です。
■午後は野田先生のチームのスタッフ5人が加わってセッションの体験がありました。私は野田先生の1番指名! 音楽療法の研修会で男は目立つのだ。
■トランポリンで跳んでいるときに音楽が加わることで身体の調整力が格段に上がるのがすぐわかりました。もちろん、ピアノは跳ぶ私にリアルタイムで合わせてくれます。フォームがくずれてジャンプのタイミングがずれてもピアノは絶対離れない。すごいものだ。曲がリクエストのバッハから「平均率第1巻第1番」になると、1跳躍を6つに刻む音が私の覚醒レベルを一気に上げて頭の中が澄み渡ったような感覚になりました。このまま続けると自分がどこかに行ってしまうような気がしました。野田先生によると宇宙飛行士が無重力状態で神を感じたという感覚なのだそうです。脳生理学的にはドーパミンの産生がアップしたとのこと。音楽運動療法は障害がある子どもたちの発達支援やパーキンソン病、脳卒中後のリハビリに大きな治療効果を上げて医学的実証も進んでいます。私は自分が体験することでその力の大きさと心地よさがわかりました。
■野田燎先生のチームはスタッフが5人来ていました。それぞれ得意分野があるようで、クラシック、ジャズ、アニメ、ポピュラーなどなど、曲によって交代してピアノを弾きます。弾き手が変われば音楽も変わります。でも、野田先生のスタッフは誰が弾いても、そして、歌っても、「患者さん」に寄り添う真摯な姿勢と心地よさはキープされています。音楽運動療法のスタッフは大学で音楽を勉強してきた人からピックアップするとのこと。大事なのは「センス」とのこと! センス…それぞれの音楽がもつメッセージ性を感じ取れることが大事だとも…。その音楽の感じ方をどうやってスタッフに伝えるのか、音楽の使い方をどうやって伝えるのか、もっと具体的な言葉で教えてほしかったのですが、これはやっぱり難しいですね。
■だれが歌っても、と言いましたが、昨日、歌を担当したのはひとりのスタッフでした。模擬セッションで、トランポリンに仰臥位になった人ひとりのためだけに歌う『ひかる・かいがら』は今まで聴いたことのない力を秘めていました。私はその歌に、そうですね、文字通り心を奪われたというべきでしょうか…。誰かのために歌うことはすごい力を秘めているものだ。
■昨日聴いて体験した野田式音楽運動療法のセッションは、誰かのために奏でられる音楽とはどんな音楽?ということを考えさせられ、また、教えられました。ピアノも野田先生のサックスも歌もたいへんクオリティの高いものでした。歌を苦手としている私にとっては、療法の空間における歌のひとつのシンボルを聴いた思いがして、研修会後、歌を担当したスタッフに話を聞かせていただきました。「患者さんのためだけに歌う」とのことで、療法の場面では誰もがそう思っているはずなのに…やっぱりセンスだろうね…
■音楽運動療法のクライアント体験で、奏でる音楽の2拍目の重要性をまた思いました。先日、FM放送でキース・ジャレットがチェンバロで弾くバッハの『ゴールドベルク変奏曲』を聴いて、やはり2拍目の重みのことを考えたばかりでした。2拍目はそのフレーズのベースのテンポを決めます。キース・ジャレットの『ゴールドベルク』の冒頭は、2つ目の音がいつ奏されるのかわからないくらいのスローテンポです。2つ目の音を待つまでのほんの何分の一秒かの間は聴く人にたいへんな緊張を強いる。不安になる。この張りつめた空間は危ういほどの美しさで私は好きなのだが。昨日、トランポリンでバウンドした直後、もちろん、バウンドの瞬間は1拍目で、バウンドした直後に続く2拍目がクライエントの動き、予想からずれると不快感どころか跳ぶテンポも身体の調整力も乱れてしまうのだ。もっとも、その曲は私に合わないのを意図的に選んで比較するためのものであったが。
■野田式音楽運動療法の模擬セッションでは、へんな言い方ですが、ほんとの音楽に出会った思いがしています。こうした音楽にはめったに会えません。誰かのために奏されることがはっきりしている音楽、それは音楽が本来内包している機能であり、音楽の力であり、その秘められた力をこの空間に、音の、空気の振動として再現し得る技こそ真の音楽の使い手のみなし得る技なのだ。昨日はただごとではない体験をしました。
■22日から24日まで山形県の天童市に行っていました。ミュージック・ケア第7回全国セミナーです。セミナーそのものは23日から25日でしたが、仕事の都合で私は2日目の途中で帰ってきました。
■およそ300人が一斉に『手をつなぎましょう』や『ぎりぎり』をするものだから圧巻です。すごい! だけど私は宮本啓子先生の技を盗もうとひたすら真似していました。宮本先生は自然なさり気ない動作であの空間を作っていくのだからすごい!としかいいようがない。
■それにしてもミュージック・ケアの研修はいつもハードです。朝10時から夜10時前まで研修が続く。情報量はあまりに多くてメモが追いつかない。実技から目が離せない。ホテルの豪華な夕食をたった25分で食べなければならなかった。夜は夜で同室の他県からの参加者と情報交換をして寝るのは1時過ぎになってしまいました。
■福井大学の松木健一先生の講演もいつになく中身の濃いものでした。「記録をとる論文を書くということと、係わるということについて」というテーマです。音楽療法の事例研究はほとんどの場合「質的研究論文」という形で文書化されます。それはクライエントとセラピストの相互的な営みの記録であり、文言化することでセラピストはセッションを物語る。物語は語られることによって聴き手は自分の中で物語を再構築する。追体験をする。そこに相互的な営みの質的な研究の意味がある。逸話の積み重ねがなされる。…私はハッとしました。逸話、エピソードを語り、積み重ねるスタイルの音楽療法の勉強会を計画していた矢先の松木先生のこの話でした。
■野田燎先生が言われるようにひとりのクライエントだけのセッションをもちたい。でも、現実は厳しいものがあります。どうしても集団のセッションをせざるを得ない。もちろん、集団でしか成し得ないことがある。ミュージック・ケアはその意味でたいへん優れたメソッドです。でも、それだけではいけないと思う。集団セッションと個別セッションとの効果的なコンビネーションが発達につまずきのあるお子さんひとりひとりに必要です。この国はほんとに文明国家なのかと、また、思う。