ATACカンファレンス2001に参加して

■11月23日24日25日の3連休に、「ATAC(エイタック)カンファレンス2001」というセミナーに行ってきました。ATACとはAssistive Technology & Augumentative Communicationの略で、障害がある人たちへのAT(支援技術)とAAC(拡大コミュニケーション技法)についてのセミナーです。会場は京都宝ヶ池の国立京都国際会館です。
■運営は約60のセミナーから自由に選んで参加する形態です。開会の挨拶もなければ各セミナーの司会もなし。会場に講師が来て自分で始めて話して質問を受けて終わるという運営です。その質問はどこでしてもいいし、昼食時間らしき時間帯もセミナーが続くのでサンドイッチなどを食べながらの参加もOKです。参加者は管理されているという感じが全然しません。参加者の意志が尊重され参加の仕方は任されています。それがかえってモチベーションを上げています。こんな研修会は初めてで驚きながらもたいへん心地よいものでした。
■障害がある人への支援もコミュニケーションは、本人・保護者のモチベーション、「これがしたい」「こう言いたい」という動機ですね、これを尊重しないと成り立たない、自己選択と自己決定が最大限尊重されるべきだという考えが根底になっていました。
■障害がある人も保護者もたくさん参加されていました。
■今回のキーワードは「みんな同じ」でした。個性や障害がみなちがうことはわかっている。それでも尚「みんな同じ」と主張したい、主張しなければならない状況はまだまだあります。
■どのセミナーも1時間という枠をいっぱい使ってたいへんな情報量です。自己決定という理念に裏付けられた支援技術とコミュニケーション技法は具体的かつ明解でした。実に気持ちがいい。
■2つのセミナーでアメリカとノルウェーの自己決定についてその徹底ぶりを聴くことができました。小さな頃から選択肢から自分で選ぶというトレーニングを続けてきた人は自然に自己決定の力が身についているとのこと。“語るべき自分”も“守るべき自分”もあるということだと思います。ひとり、ということもまた強く意識されているとのことでした。
■アメリカでAT(支援技術)がどうしてそんなにも普及したのか、そのことについて文部科学省の人がこんな話をしていました。「アメリカにはIEPがあります。ニーズに結果を出さなければならない。だからコンピュータを使ったATが普及した。」コンピュータばかりがATではありませんが、障害がある人の自立に向けて教育関係者があの手この手できちんと対応していこうという真摯な姿が感じられました。
■そのIEP(Individual Education Program=個別の教育プログラム)、文部科学省では「個別の指導計画」と言っていますが、これは今や養護学校が提供する教育サービスの根幹になりつつあると私はとらえています。本人・保護者の自己選択と自己決定、新しい自立観、本人・保護者のニーズに合わせた教育サービスの提供、学校運営への保護者の参加と責任、本人・保護者への説明責任…この流れはすでに社会に浸透しつつあります。養護学校の教職員である私は子どもへの指導支援の内容を本人・保護者と話し合って決め、その内容を説明し、結果に対して保護者とともに責任をもたなくてはなりません。
■最終日に自閉症の人への支援のライブショーがありました。偶然にも私の前に座った男性が自閉症の人で、そのセミナーの主役でした。セミナーが始まる前に来て、待ち時間に席を立とうとしたりロッキングを始めました。となりの黒い服の女性が「パブリック」と小声で言ってコミュニケーションブックで「静かに」のシンボルを彼に示しました。彼は「大丈夫」と言って席に着いたまま落ち着きました。セミナーの途中でも何度かそういう場面がありました。「パブリック」とは「公的な場」という意味です。もちろん静かにしなければなりません。
■あとでわかりましたが、彼は20歳で、となりの女性は当日初めて会ったボランティアでした。彼は彼のコミュニケーションブックを持っています。ボランティアはボランティア用の彼とのコミュニケーションブックを渡されています。ボランティアの彼女はそのコミュニケーションブックで初対面の自閉症の彼と必要なコミュニケーションをとっていたわけです。彼はライブショーをはさんでそうして1時間のセミナーをこなしました。私はその見事な支援に支えられた彼の自立ぶりに驚きました。彼を理解し、彼の自立に必要な支援が見事に構築されているわけです。コミュニケーションブックを作ったのは養護学校の教職員です。
■ATACカンファレンス2001に参加して、障害のイメージが変わったように感じています。障害もプライドになり得るように思いました。静岡大学の杉山先生の著書に『発達障害の豊かな世界』という本がありますが、その標題通りの「世界」に触れたように思いました。

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