日別アーカイブ: 2023-07-22

右足首骨折

5月の連休に同僚と秩父の三峯神社を訪れて奥の院に登った翌日、一人で北八ヶ岳のにゅうに登って下山、駐車場に向かう白駒の池の周遊路を歩いていたときに残雪で転倒して右足首を骨折しました。下山してチェーンスパイクを外したのは油断以外の何ものでもありません。道の中央に蒲鉾のように残った残雪は気温が上昇してシャーベット状になっていました。転倒して体が右に傾いたとき右足首からブチッという音が2回しました。ポールを杖にしてどうにか車まで戻って登山靴を脱ぐときは足がちぎれているのではないかと怖かったですが運転に大きな支障はないようで注意しながら帰宅しました。

地元の病院で診てもらうと右足首の関節に米粒くらいの骨のカケがあって骨折という診断でした。ギブスで固定して松葉杖の生活となりました。運転はできるというので通勤はできたものの松葉杖なので不自由この上なく、また、一目でその不自由さがわかるので同僚や子どもたちからずいぶん心配され助けてもらっていろんな話の機会もいただきました。

松葉杖の生活は4週間続きました。肢体不自由の特別支援学校に通算12年勤務したことがあるので人が歩くとはどういうことかと、文字通り身をもって考えることがしばしばありました。今回の経験で松葉杖歩行は通常の歩行の延長線上にあることがわかりました。松葉杖歩行は通常の歩行の体重移動を身体が知っているからこそ比較的早期に可能になったのだと思います。私が肢体不自由の特別支援学校でかかわった子どもたちの歩行は通常の歩行の体重移動を経験したことがないことからその仕組みを教えることが大切でした。それが難しいのです。子ども一人ひとりに応じた歩行のポイントを見きわめるのは理学療法士らの助言が頼りになります。松葉杖とはいえほどなく歩けるようになった自分の身体が不思議でした。

松葉杖で安定して歩くには体重を進行方向に向けることがポイントになります。直立姿勢から歩行に移るときは重心を進行方向に傾けます。そのままだと倒れますから松葉杖なりもう一方の脚を進行方向に出して体重を受け止めて次の動作に移ります。ホンダ技研がアシモくんを安定して直立させるために常に不安定になるようにプログラムして絶えずその修正をし続けることでそれが可能になったと聞いたことがあります。それに通じる理屈なのだろうと思いました。

ケガから2か月半が過ぎて骨折そのものは治りましたが足首と足の甲の柔軟性はまだ戻らず日によっては患部が痛んで腫れるという状態です。それも日々回復に向かっているので深刻に心配しているわけではありません。あとしばらくの辛抱で登山は秋から再開することにしました。

今回のケガでは、しかし、たくさんの学びがありました。今も患部は痛むことがありますが、24時間ずっと痛みがあるとどんなことになるのか、それを初めて経験して知ることになりました。これくらいの痛みなら大丈夫と自分に言い聞かせながらもその痛みのせいで夜は眠れず物事に集中することもできずで、仕事はけっこう辛抱しながらしていました。仕事に集中しているときは痛みを忘れることもありました。「痛みを抱えながら生きる」というような現象学的研究は学習会で何度か接してきましたが自分で経験すると言語化なんてとんでもない、この痛みとどう付き合えというのかと、そんな動物的とも言える単純な思考に陥ってしまいました。言語化のために誰かインタビューしてくれと思うこともありました。この骨折の経験を研究の対象にしないなんてもったいないと、そんな浅ましいことも考えました。今日から学校が夏休みに入ってやっとこうして書くことができるようになったわけでそのこともメタ的に興味深い。貴重な経験でした。と過去形にするにはもうしばらくの時間がかかります。