幼児教育事始め

今や風前の灯の教員免許更新制にちょうど当たって30時間の受講が終わりました。この際にと幼児教育を幅広く学びたくて8つの講座がある放送大学を選びました。この点は期待通りで幼児教育の講座はたいへん興味深く面白いものでした。率直にいえば、幼児教育の講座を受けてただならぬ波風が私のなかで立ったというくらいインパクトがありました。

私がとりわけ驚いたのは「夢中」と「没頭」という言葉です。教育・保育の質の確保において「安心感」と「居場所感」、そして「夢中」と「没頭」がキーワードとして資料にありました。ベルギーのリューベン大学のラーバーズ教授が0歳から18歳までの教育の質を決める観点として示しているとのこと。「夢中」と「没頭」は3年前の初任者研修の研究授業の取り組みのなかで矢野智司らの資料を当たって得たキーワードでした。学習活動(広義の学習活動)における「夢中」や「没頭」の重要さは子どもの教育に携わる者なら身をもって知っているものですが学習指導案や授業研究においてこの言葉が前面に置かれることはほとんどなかったのではないかと思っています。定年退職して現象学を学んだことでこうした言葉を使うことの大切さが文字通り身をもってわかった次第。不甲斐なさにため息の一つも出ますが初任者指導などの機会に積極的に問いかけて使っていきたいと思っています。

さて、幼稚園と学校ではそもそもの文脈が異なるように思われるのはどうしてだろうと考えます。学校では子どもは一つひとつのステップを順に踏んで学んでいくものという考え方に基づいて学習指導要領等が記述されています。幼稚園においても「できる」という視点はもちろんありますが、「気づく」ようになるという視点が強調されているのではないかと講習を受けて思いました。保育所や幼稚園の自由遊び等が小1プロブレムに影響しているのではないかと聞いたことがありますが、小学校低学年で設定されている生活科が保幼・小との接続やつながりを想定されているとはいえ幼児教育と小学校教育とのちがいはもっと根底にある教育観や子ども観のちがいにあるのではないのだろうかと思います。幼児教育についてはあまりにも知らなさ過ぎて何がわからないかもうまく言語化できませんが就学前の子どもたちの育ちへの興味は尽きません。

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