日別アーカイブ: 2021-08-05

グールド、幾たびか

先日、朝日新聞の「村上春樹さん、クラシックのことを書いてみた」の「第1回 体がずれていく感覚が好き 村上春樹さん語るクラシック」を読んでグールドについて語っているところに目が留まりました。

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グールドは10代の頃にずいぶん聴いて、強い衝撃を受けました。グールドを聴いていると、体がね、知らない間に、ちょっとずつ別の場所にずれていくような……そんな感覚があるんですよね。特に、左手に集中して聴いている時に。そこのところが、好きなんですよ。(村上春樹 朝日新聞 2021/7/31)

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グールドについての記述は少し前に横道誠著『みんな水の中』で読んで自分の体験と重ねていたところでした。同書にはこのように記されています。

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【8】晴れをもたらす文学と芸術
(略)
 意識がしょっちゅう混濁しているために、私は文学と芸術を、自分の精神に明晰さをもたらす手がかりにしてきた。というのも文字と芸術は、混沌とした宇宙に明晰さを与えるものにほかならないからだ。
 たとえば、服部土芳の『三冊子』によって伝えられた松尾芭蕉の遺語、「物の見へたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」[潁原1939:104]を発語してみるとき。あるいは、フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」を、「正確にも正午だけで構成するのは/海だ、海だ、つねに新しく始まる!」[1933:157原語フランス語]と訳出してみるとき――。私の心は、澄んだものへと整頓されてゆく。
 文学以外の芸術にも同じ機能がある。パブロ・カザルスがギコギゴと奏でるバッハの「無伴奏チェロ組曲」を聴き、グレン・グールドがポロロンポロロンと奏でる同じくバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴くとき、ハンス・ホルバインの絵画「大使たち」に隠された頭蓋骨を斜めから眺めるとき――。私の心は展翅板の羽のようにきれいに伸展されて、心の疲れが発散されてゆく。
(横道誠『みんな水の中』二水中世界より P50-51)

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グールドが弾くゴールトベルク変奏曲はなぜ“特別”なのだろうか。どのような聴き方にとって“特別”なのだろうか。村上春樹が言う体が「ちょっとずつ別の場所にずれていくような」感覚とはどういうことなのだろうか。「そこのところが、好き」とは…。横道誠はグールドが弾くゴールトベルク変奏曲とパブロ・カザルスが弾く同じくバッハの無伴奏チェロ組曲を並べる。私もカザルスが弾く同組曲は好きです。この両者に何か共通するものがあるのだろうか。