カメラ談義

今週、久しぶりに地元の白米城址に登りました。トレランシューズにデイパック、カメラは手持ちという軽快なスタイルで半分以上写真目的の山行です。そこらじゅうで写真を撮って、つまり、立ち止まって登りはコースタイムの1.5倍の1時間かけて登りました。ゆっくり登ると見えてくるものもちがってきます。あまりにあちこち見てばかりだと脚元に注意が疎かになって足首をひねりそうになります。今回のカメラはミラーレスのCanon EOS M5なので露出補正した画像をそのままファインダーで見ることができてらくちんです。でも、このカメラの特性なのか「葉っぱはこんなふうに」と決められてしまう部分が多いように思えてきました。もちろんきれいに撮れます。実際の見た目よりきれいな画像です。イメージカラーというわけでこれは何もこのカメラに始まったものではなくフィルム時代から追ってきた「美」のかたちです。フィルムの色は自分を表現するための仕掛けであり個性でありました。それぞれのフィルムの「思想」を理解することなくしてデジタル時代の「自分の色」を見極めることは難しいのではないかなと思います。富士フィルムのフィルムシミュレーションは単にシーンによる写し分けではなく心の奥にある「美」をかたちとして見せる仕掛けではないのだろうか。時代とともにこうした色の文化は変わっていくと思いますが富士フィルムには「哲学」を貫いてほしいと思っています。

富士フィルムのデジタルカメラはFinePix4700から日常的に使ってきてポルシェデザインのFinePix480に更新しました。今手元にあるのはX-H1とX-E3の2台です。「色」ということではフィルムシミュレーションの「クラシックネガ」が使えないのがすごく悔しい。「クラシッククローム」はポジフィルムの文脈だと思う。富士フィルムにはファームウェアの更新でがんばってほしいと切に願うところです。

先日インスタにアップした青山高原ウィンドファームの写真はCanon EOS 5Dmarkⅱで撮りました。このカメラは仕事が忙しいときに購入したのであまり使われないままメーカーのサポートが切れてしまったという不遇にあります。ファームウェアのアップデートも最終までいってないのではないかと思います。少し前に調達したタムロンの28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD A010を使いました。高倍率ズームレンズなのでそこそこの写りと思っていて、そう思う部分もあるのですがフルサイズの解像感を見せつけられたように思いました。2008年11月発売で私が購入したのは2011年だったか。13年も前のモデルです。「今風」には撮れない部分はありますがなんとか使っていきたいカメラです。

こんなカメラ談義をしていると自分にとって唯一無二のカメラは何なのだろうとふと思います。気が多いのでそれが決められないのです。

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