日別アーカイブ: 2020-01-12

東京にて

3連休は東京で遊民三昧で今日は2日目でした。昨日は池袋の書店に取り置き注文した本を受け取って午後は首都大学荒川キャンパスで開催の現象学の研究会、今日は世田谷美術館の「奈良原一高のスペイン――約束の旅」と午後は東京大学駒場キャンパスで開催の「哲学×デザイン プロジェクト 障壁のある人生をどのように生きるのか」に行きました。

取り置き注文したのは『現代思想 2013年5月号 特集自殺論』(青土社)です。お目当ては医療人類学の北中淳子先生の論考です。自殺は精神医学が対象とする事象だと今では誰もが疑わないようなことも自殺と精神医学の歴史を辿るとかつてはそうではなかったとのこと。「一九九九年に亡くなった江藤淳の自殺が一種のロマンティシズムを持って語られ」という下りは当時の自分もまさにそのひとりだったことを思い出しました。人生の「行き詰まり」のひとつの帰結が自殺という受け止めか。日本と世界の精神疾患とされることの歴史やそれぞれの時代や社会での認識は知れば知るほど首をかしげることばかりです。こうして調べていくと人間とは何かという究極の問いを考えている自分に気がつきます。

現象学の研究会は東京と大阪で交互に毎月開催されていて東京会場は今回が初めてでした。内容はほとんどが看護や医療をフィールドとしたものですが、私は常に教育ではどうなのかと自問しながら参加しています。この研究会では発表もさることながら討議からもたいへん貴重な示唆や知見をいただています。今回も然りでした。website

「奈良原一高のスペイン――約束の旅」は先日のNHK「日曜美術館」で特集があって知った写真展です。奈良原一高は私が写真に興味を持ち始めた中学生の頃から目を引く作品が写真雑誌などに多数掲載されていました。ドキュメンタリーあり、ポートレートあり、コマーシャルあり、ファッションありと幅広いジャンルでしたがどれも目を引きました。今思うとそれは造形的と私の目に映ったのです。当時私は造形的な構図に惹かれていてわけで、社会的な背景やメッセージは後から深く気づかされました。今回のスペインの作品も強烈な印象でした。1963~1065年にかけて彼自身が運転する車でスペインの小さな村も訪れて撮影しており、マスメディアに取り上げられないような貧困層の暮らしにも彼のレンズが向けられる。「なぜそこに住むのか」「なぜそうして暮らすのか」という問いではなく、「なぜそうなのか」という社会への問いが沸き起こる。インスタグラムは往々にして見栄えのするベストショットがアップされている。「インスタ映え」という言葉まで生まれたくらいだ。私が中学高校の頃はある意味「汚い写真」の方が注目されていた。被写体もさることながら増感現像などで意図的に粒子を粗くした。見てはいけないものを見るような感覚があったが妙に「すごい」と感心していたことを思い出します。社会の底辺、裏、貧困、病気等々の現実が目に焼き着く厳しい事実がそこにあった。奈良原一高もそうしたドキュメンタリー全盛期に注目されていたわけですが、どこか、何かがちがっていました。そのひとつが造形的な構図だったのではないか、少なくとも中学高校の頃の私の目にはそう映っていました。今回は「おとな」として彼の作品に接したわけで、写真から伝わるエネルギーに何度か背筋を伸ばし直すために大きく息をしながら会場を回りました。そして、今、このようにして残しておかないとすぐになくなってしまいそうな現実があることも思いました。

午後の東京大学大学院総合文化研究所・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP:The University of Tokyo Center for Philosophy)の「哲学×デザイン プロジェクト19 障壁のある人生をどのように生きるのか」に行ってきました。「障壁のある人生」と歩んできたという4人のスピーカーの話のあと、座談会のような時間が持たれました。ゆるいといえばほんとにゆるい会で、そのことでスピーカーのみなさんはもしかしたら普段は触れない自分の体験をお話しされたのではないかと思いました。障害者ゆえに受けてきた差別や学校でのいじめ、多様な生き方が許されない日本社会、イギリスやアメリカの状況等々、よくぞその中を歩んでこられたと思いました。4人のスピーカーに共通するところは高学歴でアカデミックな立ち位置にいるということでしょうか。それだけに障壁を巡る社会を俯瞰し、鋭く切り込みを入れて核心を突きつつ歩むべき方向性がそれとなく感じられる催しだったように思います。その中のひとり、ネットの論考でしか存じ上げなかった先生と話をすることができ、また、スライドの写真を撮らせていただいて大きな収穫となりました。その言葉や着眼点など、どうして今まで知らなかったのかと自分の不甲斐なさを思いました。このイベントは子ども連れも歓迎とのことで赤ん坊から幼児、小学生まで10人くらの子どもたちも来ていました。走り回って遊んだり泣いたり発言するお母さんにまとわりついたり、そして、全体ホワイトボードの壁面に質問や意見を書くときは落書きをしたりとのびのびと過ごしていました。これも初めての体験でしたが私も不思議と気になりませんでした。website

ところで、世田谷美術館は用賀駅前の案内表示通りに進んだら四角形を対角線上に行けるところを短辺と長辺をなぞる遠回りのルートになってしまいました。でも、これが知らなかった世田谷の姿を目の当たりにすることになりました。その道筋はかつて田畑が広がっていたのでしょう。所々に黒い耕地が残っていてかつての農家を思わせる広い敷地の生垣や雑木林がある家が点々とあり、それを囲むように新しい家が碁盤の目のように整備された広い道に沿って建っていました。輸入車もたくさん見かけました。手の届かない暮らしがあるように思いました。その中を歩いて世田谷美術館に行き、午後は東大駒場キャンパスでした。地方ではどう転んでも経験できない空間と時間が東京にはありました。東京に住みたいとは思いませんがこうして過ごす時間は自分の“感度”を高めるためにも時々ほしいものと思いました。