日別アーカイブ: 2019-09-11

「当事者研究の切実さ」

日本心理臨床学会の広報誌『心理臨床の広場』第12巻1号2019の東畑開人さんの巻頭言がSNSで話題になっているのですがなかなか目にする機会がない中、ようやくTwitterでその一部を知ることができました。一部とはいっても切り取る人の慧眼によって核心が浮き彫りになってきます。今回もまさにそれだと思っています。孫引きなので不甲斐なさを感じつつですが引用したいと思います。

「東畑開人さんの巻頭言「当事者研究の切実さ」の切実さ!」(白石正明  こちらのツィートより)
「 当事者研究は過去に流行し、その後沈静化していった諸々の援助法とは全く違います。…そもそも「援助とは何か」という問いの根底を組み替えようとするある種の文化運動なのです。このメンタルヘルスの民主化という政治性こそが当事者研究の核心だと私は思います。…当事者との共同を前提にしてしか専門家が制度に居場所をもちえないという局面を迎えようとしているのです。国家資格となった心理職は、さまざまなステークホルダーとの政治的交渉を重ねていかなければなりませんが、その中で最重要な相手が当事者なのです。そのような流儀は、私たちにとっては未知のものではないか、と私は思います。」(引用ここまで)

先月の塩飽海賊団の特別講義でお聴きした熊谷晋一郎さんの当事者研究の文脈がまざまざとよみがえってきます。専門職といわれる人たちはその当事者研究の理念だけでなく自分自身が当事者研究に「同席」するという相当高度な営みを「流儀」としていかなければならない。当事者研究という言葉で示されている「営み」は障害や病気がある人が当事者であるというシーンを想定してますが、当事者研究の研究が進むことでもっと広い分野で必然的に用いられるのではないか、飛躍しますがそんなこともどこか感じます。

昨日は認知症の人のサポートブックを巡っていろんな立ち位置の人たちと情報交換することがありました。私は特別支援教育における個別の教育支援計画や個別の指導計画の作成における保護者の「参画」で経験したことを基に考えを述べました。本人、当事者の思いや願いをこうした仕組みに記述することは難しいものです。私たちはこれまで経験することがなかったようなフェーズで仕事や地域生活を進める局面に来ているのではないだろうか。