日別アーカイブ: 2019-02-08

伊那小学校の公開研究会の余韻とその増幅

暦通り節分を節目に立春を迎えたようです。空は明るさを増し、雨は乾燥した大地に春を迎えるための水分をしみこませます。この寒気も春に向かう自然の躍動を感じさせます。

先週の土曜日、長野県伊那市立伊那小学校の公開研究会に行ってきました。正確には「公開学習指導研究会」です。このときの余韻で1週間が過ぎました。この先もその余韻は通奏低音のように続くことと思いますが、すでにあらたな要素が加わって増幅されてきています。

今回で40回目とのことです。40年前というと昭和53年度、1978年が第1回ということになるでしょうか。大学の附属学校でも公開研究会は隔年というところがある中で公立の小学校が40年にわたってこうした研究会を行っていること自体に注目していまいます。「こうした研究会」というのは研究内容が総合学習ゆえになおさらです。伊那小学校は総合学習を学びの柱とし、子どもたちが山羊を飼っていたりチャイムやテスト、通知表がなかったりという特色で知られてきました。現在はちがってきているところもありますが、総合学習の取り組みを継続しているところから広く注目され、今回も600人を超える参加者があったとのことです。前述のような特色は注目の的となりやすいものの、保護者、地域の理解がなかったら成し得ない取り組みです。そこが信州の教育たる所以だと思いますが、こうした取り組みがどんな言葉で共有されているのか、そこが私のいちばんの関心事でした。

研究紀要の冒頭に信州大学の畔上一康先生が「伊那小学校の実践が問いかけることと」と題して「「総合」の思想と歩み」等々について説明をされています。「学力」第一で回っているかのような現在の学校教育の中で、しかし、畔上先生のこの文章はもっとも今日的な課題への提言であるように私は読んでしまいます。乱暴な言い方ですが、来るべきフェーズの学校教育について考え、論じようとするとき、こうした教育の思想や方法論に立ち返ることが欠かせないと考えます。そのためには畔上先生が最後に触れているヴァスデヴィ・レディの「二人称的アプローチ」のような二元論とは異なる視座が必須となる。(二人称的アプローチは他に佐伯胖先生の著書「「子どもがケアする世界」をケアする 保育における「二人称的アプローチ」」(ミネルヴァ書房 2017)に詳しい)

当日の「販売書籍・資料 リスト」から「三枝孝弘先生論文口述集」と「伊那小学校百年史」を買い求めました。前者は「本校の研究の創成期の指導者三枝孝弘先生の論文をまとめたもの」、後者は「総合学習・総合活動の創成期のことや、通知表のないわけなど伊那小学校の歴史をまとめたもの」とのことです。2冊とも拾い読み程度ですが、「三枝孝弘先生論文口述集」では冒頭の昭和54年の公開講演記録のテーマが「実存としての教育」とあって哲学のフィールドとの重なりなど興味津々です。早速、三枝孝弘編「学校と教育方法」(講談社 1981)を取り寄せました。そこから上田薫氏の著書へとつながってこの先はどこに向かうのか。上田薫氏は西田幾多郎氏のお孫さんとか。「上田薫著作集」などを取り寄せ中です。入り口はちがっても自分の関心の向かう先に現象学が見えるようになってきています。もちろんこれは私の慧眼ではない。時代、社会状況が求めているとは決して言い過ぎではないでしょう。

今回の信州行はホテルと伊那小学校を訪れただけでした。伊那小学校には朝8時前から夕方4時半過ぎまで9時間近くも滞在したことになりますがあっという間に1日が過ぎてしまいました。雪が残る中、自分たちで建てた山羊小屋を囲む柵の中で山羊といっしょに始まった1年生の朝の会の光景は記憶に刻まれています。「〇〇くーん」「〇〇ちゃーん」と子どもたちの名前(ファーストネーム)を呼ぶ若い女性の先生と「はーい」と応える子どもたち。中には柵によじ登ったまま返事をする子どももいました。教育の原風景を見た思いがしたというのも言い過ぎではないと思います。

アイキャッチ画像は伊那小学校の朝の空です。

今週はこれまた刺激的なNHK「100分de名著 オルテガ “大衆の反逆”」が始まりました。