月別アーカイブ: 2016年10月

季節の変わり目に

鈴鹿サーキットのF1日本グランプリ決勝当日に鈴鹿で練習日程を組むというのもなかなかないことと思って早めに家を出ましたが渋滞もなくトーマスぼーや保育園に着きました。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」とメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」、そしてシューベルトの「未完成」が練習メニューでした。こうして書くと3曲ともいわゆる標題音楽です。私のようなアマチュアにとってはベートーヴェンのかっちりした構造感のある音楽が練習しやすいと思っています。団費を納めて団員らしく?なりました。演奏で貢献できるようにがんばらないといけません。

家を出るとき半袖はちょっと寒いかなと思いましたが日中は大丈夫でした。ところがF1の渋滞を避けて夜まで鈴鹿にいたら腕が冷たくなって痛みが出てきました。帰宅後は長袖のボタンダウンとフリースまで重ね着をしました。鈴鹿ではワイシャツをまとめて調達しました。くたびれてきたワイシャツを思い切って整理したら全体に白系が増えました。流行には無頓着なはずなのに今日見てきた店の品揃えような色調になってしまいました。ネクタイはペイズリー柄を探しましたがほとんどありませんでした。お気に入りのネクタイは使用頻度が上がるのでどうしても傷みやすくなります。結果、ペイズリー柄は“消費”されてしまいます。ペイズリー模様は様々で生理的にちょっとダメなタイプもありますがそれは発するエネルギーが強いということでしょう。そこに惹かれます。

10月のポコ・ア・ポコ

10月のポコ・ア・ポコは4家族のみなさまにご参加いただきました。2年ぶり?いや、3年ぶりかもというお子さんや市のお祭りよりポコ・ア・ポコに行きたいとご参加いただいたお子さん、このときこそとフィナーレのシャボン玉に駆け寄ってそっと割ったお子さんも、そして、ポコ・ア・ポコのプログラムをひとつひとつ確かめるように集中してくれたお子さんも、自分なりの参加の姿を見せてくれました。これはすごく大切なことと思っています。フィナーレのシャボン玉が床に落ちる前に消えてしまっても、今日、このときだからこそと温かく見守ってくださるみなさまにただただ感謝でした。ポコ・ア・ポコは非日常であり、同時に日常なのです。そこに集う一人ひとりの姿が目に焼き付いています。11月以降は私のスケジュールが流動的なこともあって間際のお知らせになることもありますとお伝えしました。ここしばらく、なんとか乗り切りたいと思っています。

夕食の支度をしながら聞こえてきたこの音楽はもしやと思って字幕を見ていたらやはり吉俣良でした。NHKの「忠臣蔵の恋」の音楽です。

質を高めるということ

久しぶりの青空とさわやかな風が戻ってきました。私の一日はNGから始まりました。今朝は長袖にしようか半袖にしようかと迷って風通しのいい綿の長袖の白のボタンダウンにチノパンツ、そしてニットタイとまでは心して支度をしましたが肝心のおきまりの紺ブレを忘れて車に乗り込みました。今日はジャケットなしで締まらない一日となってしまいました。いつも車に入れてあるジャケットも昨日の出張で持ち歩いたので家に置き忘れとなりました。上着、ジャケットのあるなしで心持ちはずいぶんちがうものです。身だしなみ、おしゃれは大切です。

その昨日の出張は勤務校の高等部の社会見学の引率でした。行き先は志摩市賢島方面で志摩観光ホテルクラシックを訪れました。伊勢志摩サミットの首脳会談が行われたホテルです。サミットに合わせて改修もあったようですが、老舗のホテルの佇まいはちょっと言葉では言い表せないほど素敵でした。今となっては規模はほんとに小さい。エントランスから反対側の海が大きな窓越しに間近に望むことができるくらいです。ロビーは落ち着いたブラウン系でまとめられ、北欧調の調度品がよく馴染んでいました。ソファーと通路の間にはテーブルの上に細い線を基調とした金色系のやや大きめの生け花が2点あり、ちょっと艶めかしく光っていました。カワイの工場のホールにあったフルコンサートピアノのフレームや弦のメカニズムが照明を帯びて放つまるで生き物のような色調を思い出しました。凛として呼吸を乱さぬ佇まいです。こうしたところに老舗の底力が表れるのでしょう。

志摩観光ホテルは小学校の卒業遠足で訪れたことがあります。46年前のことになります。伊勢志摩サミットが報道されてそのことを思い出しましたが、実際にその場を訪れるとそれは思い出ではなく、自分の中で今と当時の時間が併行して流れているような感覚になりました。

夜は小学部のお子さんのご家族と話をする機会がありました。ご両親、ごきょうだい、おじいさんとおばあさんもいっしょで、子どもが家族と離れて入院生活を送ることへのたくさんの思いを聞かせていただきました。その中で、いいこともあったよねという話になりました。学術研究としてはPosttraumatic Growth(心的外傷後成長 PTG)と呼ばれる苦悩体験が促す成長です。当事者ではない位置からこうしたことを前面に出した物言いは気をつけなければなりませんが、子どもの頃に入院を経験した学生がまとめたPTGをテーマとする卒業論文を時々読み返しては病弱学校に勤務する者として常に意識を高めるようにしています。「課題」も「成果」もこうした客観性のある整理を進めたいものです。

聞き書きワークショップ

これもつながったことのひとつとなりました。今日は沼津市のNPO法人ユートピアの聞き書きワークショップに行ってきました。期待以上の成果がありました。前半は六車由実さんのレクチャーがあり、続いて6人グループに分かれて「すまいるかるた」を作りました。六車由実さんは民俗学者として大学で教員をされたことがあるだけにレクチャーの内容は構造化されており、柔軟な視点から見いだされた介護民俗学の諸相も言語化されてたいへんわかりやすいものでした。すばらしく明解でした。レジュメの「介護民俗学の聞き書きで結果的に変わってきたこと」の「認知症の利用者さんの言葉や言動が面白く思えるようになった」については、先日読了した森川すいめい著「その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――」に登場する老人介護施設のエピソードと見事に重なります。そこでは職員がお年寄り一人ひとりをよく知っているので困った言動も理解できるというところです。結果、向精神薬は誰も飲んでいない。その地域はそもそも住民が互いによく知っている関係性があるのですが、「聞き書き」はそのことを意図的積極的に行うものといえるでしょうか。「すまいるほーむ」でのかるた作りの実際の映像も見応えがありました。感銘を受けました。後半は「すまいるかるた」作りです。初顔合わせなのに6人がすぐに活動に集中してたいへん面白く充実した小1時間となりました。「すまいるかるた」作りは森川すいめい氏が指摘するオープン・ダイアローグといくつかの点で共通するものがあると思いました。比べてどちらがどうのこうのいうつもりは毛頭ありません。ほぼ時を同じくしていくつかのベクトルがニアリーな一点を指向しているように思えるところに注目したいのです。飛躍するようですが、文部科学省が進めているインクルーシブ教育システムの構築にかかわって様々な関係性のあり方について示唆をいただいたと考えています。(自殺希少地域については岡檀著「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」も併せて読まれることをおすすめします)

沼津の滞在時間は5時間弱でしたがたいへん充実した研修でした。そして、沼津への道中もいくつかエピソードがありました。

朝、私が乗った列車はほぼ満席で1両に数人が立っていました。ある駅から乗車した2~3歳の男の子を胸に抱いたお母さんが空いた席を探して前方に歩いていきました。席をゆずらねばと思いましたがあいにく私は窓際の席でためらいがあったとき、通路を挟んだ席の女性がすぐに追いかけて声をかけました。その迷いなくすっと立ち上がる姿は人となりを語るに十分なものでした。その席に着いてお母さんの胸から膝に降りた子どもはお母さんにあやされながら私と1度だけ目を合わせました。私は小首を傾げて口元を緩めました。たったその1回だけでした。でも、終着駅で降りるとき、お母さんに手を引かれて通路に立った男の子は私に左手を振ってくれました。そうなんだ、と何かしら合点がいくものがありました。そして、その時でした。お母さんは胸元がやや大きく開いたデザインの服で大きな傷跡が見えました。関係ないかもわかりませんが動きも少しゆっくりでした。何か大きな事故に遭ったのかも知れません。それは彼女の人生のいくつかの場面でマイナスに作用してきたことだろうしこれからもそうしたことがあるでしょう。人がありたいように日常を生きることの意味を噛みしめた出会いでした。幸せを祈らずにはいられませんでした。そのとき私はちょうどフォーレの歌曲を聴いていました。アメリングとスゼーの歌を聴く度に今日のことをきっと思い出すことになるでしょう。

名古屋駅の新幹線のホームでは赤いスーツケースを引いた黒い服の若い女性から声がかかりました。「どれに乗ればいいですか?」日本語の日常会話はできるものの切符の字と東京行きの新幹線の自由席の乗り方がわからないようでした。私は何を勘違いしたのか英語で応えるとその女性は日本語で話すというやりとりが数回続きました。「時間大丈夫ですか?」と逆に心配してもらってはたと気づきました。日本語で話せばいい。「のぞみが速いですよ」と念を押して別れました。佇まいに品があってどこかしら優雅で教養を感じさせる人でした。日本の女性だったら人がたくさんいる新幹線のホームでわざわざ駅員ではない私のようなおじさんにものを尋ねないはずです。やっぱり外国の人だったのでしょう。声をかけてもらってうれしく思いました。このとき「自殺希少地域」の本を思い浮かべていました。