河上徹太郎のベートーヴェン

NHKのドラマ「白州次郎」第2回に河上徹太郎が登場します。東京の空襲で焼けだされた河上徹太郎が鶴川の白州邸に居候しているとき、彼がおもちゃのピアノでベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章のラスト2小節から第3楽章の冒頭を弾いて白州次郎の家族が聴き入るシーンがあります。こういうシーンに私はめっぽう弱い。至高の芸術は何が大切なのかを教えてくれる。太平洋戦争末期、おもちゃのピアノのベートーヴェンに農作業の手を止めて聴き入る白州次郎と正子、大根を洗う子どもたちの笑顔はひとときの輝きと戦争の愚かさを同時に表しているように思います。逆境のときふれる至高の芸術は何ものにも換え難い支えだ。白州邸の縁側に寝そべって「ピアノが弾きてえ」と右手の指を腹の上で鍵盤をなぞるように動かすシーンも「わかるわかる」とうなずいてしまいました。これこそフィクションだと思いますが許そうというものです。ただ、河上徹太郎がピアノ弾きであったことだけは事実と思いたい。
このドラマは映像も音楽もすごくおもしろい。映像は銀塩フィルムを思わせるちょっと偏りのある色調で、数少なく挿入されるモノクロのスチールも心憎いばかりの効果を出しています。音楽はいろんなジャンルのエッセンスがさり気なく入っています。次郎と正子のきわどいやりとりのバックのタンゴ調がちょっとコミカルでいい。こうなると史実は半分くらいどうでもよくなって、今、このときの自分とドラマとの接点が私にとって大切だと思えます。「篤姫」もそうでした。
私が持っているベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」のCDはクリストフ・エッシェンバッハのピアノ、小沢征爾&ボストン交響楽団の演奏で、録音は1973年です。録音年代のわりに音質はいまひとつですが音楽の醍醐味はよく伝わります。
この曲で忘れられないのは市民オーケストラの練習での出来事です。ピアニストが冒頭のカデンツ風のパッセージに続くEフラットの和音をフォルテッシモで鳴らしたとき、そのピアノの調律のずれが目に見えるほどの鮮明さでわかったのです。それは唖然とするほどで、私はプロのピアニストの技量に驚くばかりでした。「皇帝」を聴くたびに思い出す出来事です。

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