高原の小さなホールで

あっという間に3連休が終わってしまいました。でも、この3連休は1年分の出会いが凝縮されていたかのようでした。仕事もプライベートも自分の意思でアクションを起こしたものですが、そのどれもが新しい出会いにつながっていました。人との出会い、花との出会い、音楽との出会い、そして、木の香との出会い…こんなこともあるのかと思いながらアテンザのシートに深く身を沈めて帰ってきました。
今日は思いがけなくソプラノとピアノのコンサートの場に足を踏み入れることになりました。木造の小さなホールにグランドピアノがあってコンサートとパーティーの準備が整っていました。導かれるまま椅子に腰を下ろしました。「冬景色」「故郷」「私のお父さん」「枯れ葉」シューベルトの「即興曲」そしてドビュッシーの「月の光」 なんと素敵な空間だろうと、そこに身を置いていることが現実ではないように思えました。コンサートも終わり近くになった頃、ピアノの上に置かれた真紅の薔薇の花束を見ていたら、ふと、福永武彦の『風のかたみ』(新潮文庫 1979)の一節を思い出していました。智円という陰陽師が中納言の屋敷で法術を見せるのですが、ただ一人、術にかからぬ人のために別の幻を現すというくだりです。智円は次郎に言った。「その姫君のみはわたくしの術にかかりそうになかった。そこでわたくしは姫一人のために、姫君にのみ見える術を使いました。あなたがたが、春から夏、夏から秋、秋から冬と四季のめぐりを見ていられた間、わたくしは姫君が心に思われている通りを、見させてさし上げたのです。一時に、二ようの術を使ったというのはわたくしも初めてです。これは我が命を縮めかねないほどの至難の業です。」この本を初めて読んだときから妙に印象に残る一節で、今日、また、よみがえってきました。こんなとき、私は音楽に身も心も委ねているのですが、きっと、演奏家にとってはやっかいな存在でしょう。ホールから出ると高原の風も止まってただただ静かな秋の日の午後でした。

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