青い麦の穂

昨日は朝から地元のムーブメントの療育サークルでピアノを弾いてきました。ピアノを弾くのは1か月に1回、このムーブメントだけになってしまいましたが、ピアノを弾くと身体がめざめる感覚になります。
今朝の新聞の本の広告で何冊か気になる本がありました。『教師の語りと新教育「児童の村」の1920年』(浅井幸子 2008 東京大学出版会)です。児童の村はネットで情報も多いのですが、ナラティヴを重ねると情報も限られてきます。ナラティブという言葉で児童の村について記述したものは少ないようですが、今、教育や保育の現場で起きていることを伝え記録するためにナラティブという考え方を用いることは増えています。質的評価ということも。昨今、教育が量的評価で云々されることが多く、質的評価、つまり、現場にいる者の言葉で語られること(ナラティブ)が軽視されていることに私は教育や保育を取り巻く状況を危惧するものがあります。教育や保育は言葉を幾様にも重ね、言葉を尽くして行われてるものと私は考えています。その場にいる子どもと家族、先生が思いの丈を語り、智恵を出し合い、擦り合わせて進めていくのが教育ではないでしょうか。こうした隠された教育課程(ヒドゥン・カリキュラム)があってこそ子どもたちは学習を進めることができるのだ。
スーパーの直売コーナーで麦の穂を買いました。午前中に行ったのに大きなバケツはほとんど空で、青い麦の穂の人気のほどがわかるというものです。真っ直ぐ立つ麦の穂先と実の白いふくらみ、明るい緑色の茎や葉がこの季節を先頭に立って初夏へと引っ張ってくれているかのようです。この穂が金色に輝くのは2か月後です。麦秋もいいけど青い穂の初々しさが胸のすく思いを誘う。

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