人生の絶対的な座標軸

2月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさんに来ていただきました。始まる少し前から外はまるで吹雪のように雪が風に乗って横に流れていましたが、セッションが終わったら青空が戻りました。初めてのお子さんも興味津々というようすでしっかり参加していただきました。終わりのシャボン玉もみんなでじっと見つめることができました。寒い中を来ていただいたみなさんに感謝しています。
昨夜は東京で教員研修センターの同期の集まりがありました。久しぶりに集う気が置けない面々が語り合う時間のなんと早く過ぎることか。このネットワークを大切にしていきたいとあらためて思いました。
東京からは夜行の高速バスで帰ってきました。今回の東京行きは雪次第でしたが、中央道は諏訪湖付近で−8度の表示が出て路肩や沿線の田畑や屋根は雪で真っ白でした。ところが速度規制はなくて相当な速度で走るバスは時折凍結した路面と思しき凹凸の振動を拾っていました。この冬は雪が多い。
行きの新幹線で早速紐解いた茂木健一郎の『すべては音楽から生まれる 脳とシューベルト』(PHP新書 2008)は期待以上の本でした。長くなりますが一部を引用します。
「人生の絶対的な座標軸」
「人間は、生きていく上で様々な事態に出遭う。時には困難と向き合わなければならない。銀のスプーンをくわえて生まれてきたとしても、どんな風光明媚な場所で暮らしていていたとしても、難事の連続であるという人生の本質や、この世で生きることが辛苦から逃れることはできないのだ。だが、絶対的な座標ーたとえば、『喜びや美の基準』といったものさしーが自分の中にあれば、日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。これは、あくまでも自分のものさしだ、という点に強みがある。世評や人気といっったような、他人を介在するものさしではない。浮世の表面的なこととは関係がない。自己の体験から生まれた独自の軸なので、揺らぐことなく自分を内側から支えてくれる。絶対的な座標軸の存在が、その人にとって、生きるということの決め手になるのだと思う。人生の苦しみを緩和し、さらには、世界の美しさや楽しさに目をむけさせてくれるような、生きる秘訣となるのではないだろうか。この世はままならぬことばかりである。自分の理想とはほど遠い現状に憤慨や焦燥、諦念を覚えることも少なくない。だが、座標軸があれば、周りがどう思おうと関係がない、という潔い強さを持てる。『周りがどうであろうと、自分の中から光を発し続けていればいいのだ』という域に達することができるのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。『美しい』『嬉しい』『悲しい』『楽しい』・・・。一瞬一瞬に生身の体で感動することによって、人は、自己の価値基準を生み出し、現実を現実として自分のものにできるのである。それが『生きる』ということである。だからこそ、本当の感動を知っている人は、強い。生きていく上で、迷わない。折れない。くじけない。音楽はそんな座標軸になり得る。音楽の最上のものを知っているということは、他のなにものにも代えがたい強い基盤を自分に与えてくれるものなのだ。」
茂木健一郎が使う「クオリア」という言葉は彼の他の本で何度か読みましたが今ひとつわかりにくいところがありました。ところが音楽を軸としたこの本では自分の実体験と結びついて腑に落ちる言葉となりました。

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