気づきあう美しい意味

■昨日は榊原温泉の国民宿舎に泊まりました。週末にもかかわらず宿泊客は私たちのグループだけのようでした。昭和30年代にタイムスリップしたかのような、今では存在そのものが不思議というくらい旧い施設でした。湯は榊原温泉の湯で、ぬるぬるすべすべを堪能しました。
■宿泊したメンバーで、高校に在籍する軽度発達度障害の生徒への支援についても意見を交わしました。養護学校からの高校への積極的な情報発信は待ったなしの状況だと思います。ひとりひとりが今できることをしていく、これが特別支援教育の質を上げていくための重要なスタンスです。私はE・ショプラー教授の言葉を心の中でよく繰り返します。「私たちは自閉症の人々に、あなたがたの周囲の世界には、こんなに美しいいろいろな意味があるということを伝えたい。」 今、このとき、ここに、気づきあう美しい意味があるのだ。
■そんなことを考えながら翌朝(今朝)出勤して、なぜか、帰宅時には夕飯は天ぷらとそうめんにしたくて食材を買いました。キッチンドリンカーしながら天ぷらを揚げました。久しぶりにゆっくり料理ができて満足しました。油温計がこわれてから勘が頼りの揚げ物ですが、不思議と失敗はありません。天ぷら粉も計らずに溶くけどこれもなかなかのもの。料理はきっちり計ってもアバウトでもおもしろい。この頃気になっている料理はアクアパッツァです。
■障害児教育の現場では精神医療の世界にも踏み込んで子どもたちと家族をサポートする必要性があります。自傷もそうしたケースです。スティーブン・レベンクロン著、森川那智子訳『リストカットする少女たち』(集英社文庫 2005)を書店で拾い読みしたとき、クライエントとセラピストとのやりとりが生々しくて分析的で、これは読んでおかなければと思い購入しました。故ダイアナ妃は「心の痛みが大きすぎると、身体を傷つけることで助けを求めようとする」と語ったそうです。私は精神科医でも心理療法の専門家でもありませんが自傷を理解する視点はもっと勉強しなければなりません。そして、社会分業モデルとして学校が他のリソースとどんな連携が可能なのか、これも取り組まなければならない課題です。やることは山のようにある!

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