日別アーカイブ: 2020-06-05

ピアノソナタ第12番K332

先週末から気合を入れないとなかなか書けない書きものをしていて気分転換にと聴いたモーツァルトのピアノソナタが頭の中をぐるぐる回るようなって1曲をリピートして流しています。ピアノソナタ第12番ヘ長調K332の第1楽章です。これまでも何度か聴いてきたはずなのにこんなにのめり込むことはありませんでした。ネットで調べて見ると森下未知世さんのMozart con graziaのサイトになるほどと思う記述がありました。吉田秀和氏の『モーツァルトを求めて』(白水uブックス)の文章です。

「私をもっとハッとさせるのは、つぎの点である。モーツァルトには、小節縦線を越え、それには左右されないリズムをもつ音楽の進行が出てくることが、必ずしも稀ではない。 別の言い方をすれば、リズムが同じ音楽の中で突然変るのである。 そういう例は、K332 のヘ長調ソナタ第1楽章の展開部に入ってからの箇所にあり、またト短調ピアノ四重奏曲にもある。 」

まさにK332第1楽章「小節縦線を越え、それには左右されないリズムをもつ音楽の進行」のところに惹きつけられたのです。そうなると止まらない。何時間も第1楽章を聴き続けることになりました。そして吉田秀和のとろけるような文にどうしようもなく私もとろけこむ。時間の流れに隙間ができるような感覚か、もうひとつの時間の流れにワープする感覚か、とにかく日常でありながら非日常の透き通った経験をしているような不思議な感覚です。

ところで私が聴いた演奏はイングリート・ヘブラーのピアノです。ヘブラーのモーツァルトは高校のとき出会ってから私の中でモーツァルトのスタンダードとなっています。「近所のお姉さんが弾くモーツァルト」とどこかで読んだことがあります。まさに言い得て妙だと思いましたが楽曲の襞をひとつずつ繰って秘密をのぞき込むようなスリルを感じます。それゆえ何度聴いても新しい何かが顔をのぞかせるのではないのかという期待感のようなものがあります。ヘブラーのモーツァルトはこれからも特別な存在であることと思います。