教育人間学演習と「このゆびとーまれ」の風景

今朝、県の防災メールで地中海で起こった遠地地震の一報が入りました。震源地はイオニア海、規模はM6.8とのこと。津波に関しては日本への影響はないとありましたが、ここしばらく古代ギリシアから現在に至る知の営みにふれることがあってこれまでのように単なる遠地地震の情報を聞き流す感覚ではありませんでした。今月もあとわずか、今年もあと2か月となった今となってこの10月が私にとっていくつかの点で大きな節目となりそうな気がしています。

10月初旬の3連休は大学院のスクーリングで教育人間学の演習でした。テキストを読みながら説明を聴き、意見を交わしながらの学びです。内容は哲学で目の前の霧が晴れていくのがわかりました。それは何かが解決するというものではありません。方法論の概要にふれることができた、そんな気がするという程度です。でも、私にとっては切り口を見つけられそうな予感がありました。演習のときとったメモをワードに打ち込みつつレポートを書く。幾たびかメモを読み返しながら必要を思われる本を取り寄せて読む。こんな考え方があったのかという驚きと気づきがあります。

そんな日々を過ごす中で先週は富山に行って共生地域福祉フォーラムに11年ぶりに参加し、また、今回は開所25年を迎えた富山型小規模多機能事業所「このゆびとーまれ」に半日滞在する機会を得ました。地域の中で子どもたちが育つ「原風景」を肌で感じてきたつもりです。障害がある子どももない子どもも、赤ちゃんも、そして、認知症のお年寄りもいっしょです。教育人間学の演習は「人間とは何か」という問いから始まりました。人間の存在について私はまだ何も知らないも同然ですが、「このゆびとーまれ」で過ごした経験は演習でふれた現象学に至る哲学の延長線上にあるものかもしれない、そんな予感を感じさせてくれるものでした。

アイキャッチ画像は10月7日、台風一過のスクーリングの日の京都の空です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です