奈良にて

昨日、奈良市写真美術館と中宮寺に行ってきました。奈良市写真美術館は企画展の本橋成一「在り処」(ありか)がお目当てです。本橋成一の作品はチェルノブイリ原発の事故後の現地の写真が目に留まって彼の写真を意識してみるようになりました。(「写真」なのか「作品」なのか、言葉の選択に迷います。)「在り処」には収録されなかったのですが、ナージャという女の子が「教室に散乱する教材の中から遊び道具を探す」「ナージャにとって放射能のことより、友だちがいなくなったことのほうが悲しい」の2枚でした。今回の写真展では200数十点というかなりの作品を鑑賞することができました。オリジナルプリントでしかわからないものがあります。写真集「在り処」の帯には「アラヤシキ、雄冬、与論、炭鉱、上野駅、藝能東西、サーカス、賭場、チェルノブイリ」とあって、彼の仕事の集大成といえるでしょうか。これらのテーマの中で昨日も感じたのは、チェルノブイリの写真の造形的な構図感でした。絵画とも思えるような印象です。それがチェルノブイリ原発の事故の犠牲となった人々の抜け出せない現実の厳しさを一層強く伝えているように思います。

中宮寺は思惟半跏像に会いたくて行きました。コンクリート造の本堂は意外でしたが、薄暗い本堂に鎮座する思惟半跏像はある意味仏像を超えた存在のように思いました。ただただ静かな佇まいでした。それが見る人の心を静めるのでしょう。本堂の3方の扉は開け放たれ、通り抜ける西風が時間の流れを忘れるのを辛うじて止めているかのようでした。

久しぶりのリフレッシュの一日となりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です