聞き書き、という営み

今日は大失敗がありました。オーケストラの練習に行く前に団のサイトで時間を確認すると予定が変わっていて今月の練習は終わっていました。この夏はスケジュールが合わなくて練習に行けず、また、予定も確認していませんでした。

時間ができたので気になっていることを確かめることにしました。先週、知人に私のブログとホームページのURLをお知らせしたのですが、そういえばどんなことを書いていたのだろうとのぞくと自分でも驚くことがありました。「南の風」のホームページを立ち上げたのは勤務校のバリアフリー花壇、持ち上げ花壇を紹介するためでした。それが1998年、18年前のことです。日記風の文章を載せ始めたのは2001年でした。よくこんなにある意味まめに書いたものだと驚きつつ、その記述が今の自分につながっている軌跡そのものに思えました。とりわけ私の琴線に触れた文章や詩、エピソードは私の思考のの節目となってきたことがわかりました。そして、自分がその時々に何を感じ、思い、考え、どんな言葉でそれを書き留めてきたか、今となっては大切な記録です。話が飛びますが、聞き書きとはこんなことなのだろうかと思い巡らせます。

10月1日土曜日、沼津市で開催されるNPO法人ユートピアの聞き書きワークショップに行きます。講師は「神、人を喰う 人身御供の民俗学」や「驚きの介護民俗学」の著者、六車由実さんです。内容は「すまいるかるた」作りで聞き手と語り手の双方を体験できるものと期待しています。私が共感するのは聞き書きといっても一方的な聞き取りではないという点です。聞き手と語り手が双方向に言葉にうなずき、新たな展開に導かれて新たな話題へと次々とつながる。「驚きの介護民俗学」でこうした記述を読んで意を得たりと思いました。教育も学習内容はしっかり押さえながらもそこに至るプロセスはその場にいる子どもたちと先生が双方のやりとりで構築していくことこそこれからの社会を自らの協働で作っていく力となるのではないでしょうか。興味は尽きません。

そういえばホームページのURLが変わってアクセスカウンターがサービスから外されたのに今日見たら引き続いてカウントされていました。運営会社側の変更なのでサービスを戻したのでしょうか。納得の対応です。

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