物書き、ということ

芥川賞受賞作、鹿島田真希著『冥途めぐり』を読みました。小説を読むのも久しぶりなら小説にこんなに圧倒されるのも久しぶりでした。主人公の出口の見えない半生と夫の突然の発病と後遺症が自分の恢復の糸口になる設定は小説の世界だけではないように思いました。多分に宗教的な香りもしますが、こうした恢復と思しきあり様はどこか宗教的なるものを超えたひとつのモデルをも感じさせます。こんな人はたくさんいるのかも知れないと漠然と思う。『冥途めぐり』はこれからも気になる作品となるでしょう。
ここしばらく一定の文書にまとめる作業をしていて、どの時点でどのような表現にすべきかと、絶えず意思決定を迫られているかのように感じています。これも『冥途めぐり』を読んだことが関係しているかも知れません。今日は、ふと、辻邦生の執筆スタイルについて書かれた遠藤周作のエッセイを読んだことを思い出しました。辻邦生は早起きの生活で、きちんと削った鉛筆を数本用意して朝から執筆していたとか。彼の文体に心酔していた私はこのエピソードに腑に落ちる思いがしました。作家たちは一文一語に意を込めて作品としていくのだと、不思議なリアリティを覚えました。ここしばらくは自分自身がその営みの真っ只中にいるわけで自分を追い込んでいるところがありますが、それも心地よさがあります。
長野の出張では思いがけずiPhoneが活躍して、写真と録音はiPhoneで全部すませました。iPhoneのカメラもボイスレコーダーも、今まであまり使ってこなかったのが不思議なくらいでした。やってみればボイスレコーダーで録音しながらカメラも使えて、これがマルチタスクかと。カメラはHDR(high dynamic range)機能を試しました。結果は○も×も?もありですが使うこと自体はこんな絵作りもあるのかと面白く思いました。酷使するとiPhone4Sのバッテリーは12時間前後で赤表示になりますが、とっさの記録ツールとして頼りになることがわかった次第です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です