映画「コクリコ坂から」の音楽

今夜のレイトショーでやっと観ました。冒頭から音楽に圧倒されて字幕に武部聡志の文字を見つけてもう納得の91分でした。彼のピアノにはまったのは『キーボード・マガジン2008WINTER号』の付録CDの「卒業写真」でした。指が語る、そんな表現がふさわしいピアノの語り口調は何度聴いてももっと聴きたくなる音楽の醍醐味がたっぷりでした。今夜もそうでした。ピアノはさらに饒舌に語り、アンサンブルは音楽を成す骨格の最小限でありながら背筋をピンと伸ばす思春期のヒロインのまっすぐな気持ちを感情に溺れないで彩る。これ以上音楽の要素を削ぎ落とせないという危うさこそがストーリーにふさわしい。音楽は、でも、どこまでもドライで、それがたまらなくいい。ほどよく饒舌なのはピアノだけで、ピアノ弾きにしか書けない音楽だと思い知った次第です。ピアノのAの単音の連続が不安をイメージしながらもメジャーに続く発想はピアノの調律の音からか。
主題歌については何の予備知識もなく観たので原曲がすぐにはわからなかったのですが森山良子の歌で聴いた曲ということはわかっていました。家に帰ってiTunesの森山良子のアルバムから「さよならの夏」を探して聴き直しました。そして、武部聡志のアレンジの巧みさにこれまた参りました。鍵盤ハーモニカの使い方、音色も出色だと思う。“あの鍵盤ハーモニカ”の音です。手嶌葵の歌もほどよくドライでいい。
ところで、映画そのものは、昭和30年代の青春は私には少し早過ぎてノスタルジーも2階層でした。私は「学生運動にもビートルズにも乗り遅れた」世代で、かといって豊かさを心の底から享受できないと思い込んでいる古風なニッチな谷間世代です。映画の旧い洋館の「カルティエラタン」は旧制高校の寮か。それを羨ましく思ったその頃の自分をさらに懐かしく思う2階層のノスタルジーなのです。かなり複雑な人間模様があっさりと解けるストーリーも相俟って観る人によって感じ方が様々になる映画でしょう。
絵の方はジブリらしくないといえるかも知れないほど背中が語らないものだったように思います。ラストシーンが海を見つめるヒロインの背中だっただけに余計にその印象があります。でも、ドライということではそれも意図して描かれたものか? だから、興行的には、さて、どうでしょうかと少々気がかりでもあります。レイトショーとはいえ客席は1割も入っていませんでした。

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