日別アーカイブ: 2010-12-12

ATACカンファレンス2010京都

昨日からATACカンファレンス2010京都に行っていました。昨日は朝早く発ちましたが京都で用事を済ませて会場の国立国際会館に着いたのは3時を回っていました。セミナーはやっとひとつ出ただけでしたが、音声読み上げソフト「DAISY」の概要について知ることができ、また、Windowsの音声エンジンのデータを分けてもらうことができました。今日は「アルテク」(身近にあるテクノロジー)を活用した支援、シンボルを使った特別支援教育、iPhone・iPadアプリ作成などのセミナーとポスター発表のブースで密度の高い情報を得ることができました。
iPhoneとiPadはパソコン同様、ATACではすでに市民権を得ているように思いました。iOSのアプリは開発ツールをオープンにしていることやその直感的な操作も相俟って支援機器としてソフト面が充実してきています。iPhone・iPadには「これなら何かできそう」というメッセージを超えたアフォーダンスを感じます。1年後にはAndroidは多数派になっているだろうとしながらも総合的にどうかというところが支援の業界では支持されるという文脈の話があって共感するところでした。
iPhone・iPadアプリ作成は東京大学先端科学技術研究センターの大学院の授業3時間分を50分に凝縮したもので、飛び石のようにたどりながらもアプリ開発のプロセスのフローがよくわかりました。私は日常的にMacを使っているということで実機も操作することができて勉強になりました。
iPhone・iPadアプリの開発で興味深いエピソードを聞きました。アプリの開発は当事者たちといっしょに生活した中でないといいものはできないということです。この前段には開発には当事者を入れないという意外な話があったのです。別のセミナーでは、アプリは「そぎ落とすものが無くなった時が完成の時」ともありました。この言葉はサン・テグジュベリが『星の王子様』を書き終えたときのものとのこと。「機能が限られたアプリの使いやすさ」とも。「アルテクを活用した就労・就学支援に必要な3つの観点、テクノロジーによるエンパワメント、環境調整による困難の解消、コミュニケーションによる多様性理解、3つが揃って初めて継続的に合理的配慮が得られるようになる」(岡)との言葉に納得です。ツールはシンプルな方がよく、生活のストーリーの中で使いこなし甲斐があるというものです。
信州特別支援教育情報誌「slide」のスタッフは長野県の特別支援学校の教員たちで、「シンボルを使った教育の頂点見せます」というセッションは実に楽しく、充実した内容で頼もしく思いました。iPhoneアプリの「DropTalk」は彼らドロップレット・プロジェクトの作品です。このセッションで初めて知ったのですが、信州大学教育学部の「Picot on Web」というコミュニケーション・ツールはドロップの前身とのことで驚きました。「Picot」は私が養護学校(当時)で担任をしていた頃のツールのひとつでした。「Picot」のさらに前身は1993年のコミュニケーション・シンボルとのことですからかれこれ20年近くもの開発の歴史があるといっていいでしょう。だからこそドロップが生まれ得たと思います。彼らのセンスとユーモア溢れるセミナーは特別支援学校の教育力の底力があってこそのもの。実に心強く思いました。
ATACカンファレンスは参加者が以前ほど多くはなく、支援機器の展示も少なくてさみしい一面もありましたが、参加者の意識がたいへん高いことは肌で感じるほどでした。身銭を切ってしか得られないものは必ずある。