記憶の音と絵

昨日、FM放送でLiberaが歌うカッチーニの「アヴェ・マリア」を聴いてその美しさに圧倒されました。iTunes Storeで探して、やっぱり歌っていたのか、どうして見つけられなかったのだろうと思いました。ボーイソプラノはストレートに美しい。ボーイソプラノの声は印象的で記憶に残りやすくて、ミシェル・コルボ指揮のフォーレの「レクイエム」のアラン・クレマンや東京少年少女合唱隊が歌う「動物の謝肉祭」の声がとりわけ私の記憶音というべき演奏です。Liberaのアルバム「祈り あなたがいるから」はどこまでも、いつまでも続く道を走りながら聴き続けたい演奏です。
この1月に見た夢の光景がずっと気になっていて、やっとその記憶の絵がわかって今日は実家で本を探しました。夢の光景もさることながら、その本を開くと1枚1枚の絵を見た記憶が次々と甦ってくるのが不思議でした。『美術手帖 1984 11月号増刊 具象絵画の現在』(美術出版社 1984)です。夢の光景は遠藤彰子の絵でした。遠近法の均衡を失った空間にエネルギッシュな子どもたちの刹那の姿が永遠に描き止められている絵です。恐いけど見つめてしまう絵です。この前この本を見たのはいつだろうか。ちょっと思い出せない。もしかしたら四半世紀も前のこともかも知れない。それでも記憶から甦るほど印象深い絵です。智内兄助の絵も印象的でした。高校の先輩の今村幸生の絵も私の目を惹き付ける。小さな頃、十字架に磷り付けられたキリストやブリューゲルの農民の絵を、本棚のあった実家の部屋で北の窓から差し込む光で食い入るようにみていた記憶が甦る。芸術との出会いは大切だとしみじみ思う。芸術は非日常のものであることがほとんどですが、しかし、日常の時間の中で意図せずして甦り、一時の吟味の時間を与えてくれるものだ。そんなとき、人は人生の意味を考える。年をとるということは、だから大きな意味と価値があるのではないか。このことを自分の中でしっかり受け止めることが次世代を育てる素養となる。こんなことを考える年になった(^_^);;;
3月は別れのとき。来年度のスケジュールを手帖に書き込めるまで落ち着かないものです。人は関係性の中で成長しますが、ひとりの時間もとても大切です。

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