ある小学校の校歌

朝から志摩半島の太平洋沿いに行っていたら津波警報が出て急いで帰ってきました。車を止めた海沿いの堤防は防潮扉で閉められます。私が車に戻ったときは他の車はほとんどが移動していました。海沿いの地域の津波に対する危機意識は高い。
午後は山間の小規模校の「お別れの集い」に行ってきました。私が初任のときに勤務した小学校です。早く着いたので当時手作りで設置したタイヤの遊具や教員住宅を見て回っていたら木造校舎の窓が開いて私を呼ぶ声がしました。「今日歌う校歌は先生が編曲した伴奏です」 えっ!? そんなことってあるのだろうか、いきなりだ・・・カウンターを喰らったようでした。私はいても立ってもいられなくなってそのときを待ちました。セレモニーの最後は校歌でした。聴けば、そうか、そうだったなと思い出しました。28年も前のことです。私の編曲、それは決して弾きやすいものではないのですが、それが28年もの間受け継がれてきたことに感謝と責任の重さを痛感しました。当時の音楽科担当に校歌の伴奏を新しく作っていいかと聞いて私の編曲がスタートしました。およそ校歌らしくない前奏や短調をここそこに使って多彩に仕上げました。ドラマが欲しかったのです。今日、閉校、お別れのときにこそふさわしい編曲だったのかも知れません。24歳のときの編曲ですが聴けば聴くほどその頃の自分を思い出してしまいます。
その頃、私は校歌の諸相を音楽の視点で探っていました。音楽的に整理がつきにくい校歌が多いように思っていました。5行の詩、3和音に終始する伴奏、楽曲のドラマのなさ等々を残念に思っていました。学生オーケストラで廣瀬量平作曲の京都府立東陵高等学校校歌を演奏してその豊かな音楽性に魅了されたことがきっかけで今も新鮮です。校歌は音楽的にも豊かで愛されるものでなければならないと思っています。当時、川を隔てた小学校の校歌は創立100周年記念で新しい校歌を作りました。男の子と女の子が別パートで歌い合い、ダイナミックなピアノ伴奏で大きなスケールの楽曲でした。私はせめて伴奏で彩りを添えたいと編曲することにしたのです。旋律を使わない前奏、短調や多彩な和声、ベースのクリシェ、流れるような情緒感等、歌の情感と合わせて初めて生きる伴奏です。「お別れの集い」ではおとなも大きな声で歌ってくれていたのでほんとにうれしく思いました。最後の入学式でたったひとりで入学した1年生の女の子が全身でリズムをとって歌ってくれていたのも感無量でした。ところで、編曲した私自身はその楽譜を持っていないのです。楽譜は捨てたことがないのできっとどこかに紛れ込ませているのでしょう。楽譜のコピーをゆずっていただけるようにお願いをしてきました。
今日は担任した子どもたちや地域の人たちと久しぶりに会うことができてたまらなくなつかしく思いました。コミュニティーにおける学校の存在は大きいとあらためて思いました。

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