「ケアのかたち・超高齢社会に挑む」

新年の朝日新聞の連載「ケアのかたち・超高齢社会に挑む」は読み応えがあります。現状へのカウンタ—であり、この先のあるべき姿を示してくれているように思います。高校中退後、職を転々としてホーレスになったこともある青年が26歳のとき福祉専門学校に入学して特別養護老人ホームに就職するも稼働率などを優先する方針に疑問を感じて自らの事業所を開設したエピソード、お年寄りのQOLを理容でサポートするNPO法人全国福祉理容美容師養成協会など、朝刊を読むと全開になってしまう連載です。これはなにも高齢者の福祉分野に限ったことではありません。8日の朝刊には「障害者支援法訴訟が終結 3年後に新制度合意」の記事がありました。7日、厚生労働省の講堂で読まれた「人間としての尊厳を深く傷つけたことに対し、心から反省の意を表明する」の合意文書を私は高く評価したい。理想を見失ってはならない。誰もが安心して幸せに暮らしていける社会のためなら誇りを持って税金を払いたい人は決して少なくない。この連載を複数の記者の著名記事で企画する朝日新聞の懐の深さと先見にもエールを贈りたい。
iPodの純正ヘッドホンを4年間使ってきて聴きづらいところが出てきたので新調しました。audio-technicaのATH-C500Mというお手頃なモデルですが新しいこともあってか音はたいへんクリアです。Appleとはちがう音作りで、これは文化のちがいでもあるのでしょう。今日のNHK-BS2の「週刊ブックレビュー」で書評の篠井英介が合評で取り上げたのは八板賢二郎著『音で観る歌舞伎 舞台裏からのぞいた伝統芸』(新評論 2009)で、いわゆる効果音は似せた音よりも象徴的な音の方がより深みのある劇空間を作るという文脈の話は私も共感するところでした。これは日本文化の共感覚です。雪を太鼓で表現する雪音(ゆきね)は前々から日本文化の美意識の最たるものと思っていました。音は文化です。
音といえば、自宅のWindowsのタワーのファンの音が騒音レベルまで高くなってきたので静音ファンへの換装を考えていました。今日はファンのサイズを計ろうとケースを開けたらものすごいホコリで驚きました。ケースと電源、CPUクーラーのファン周りのホコリを掃除機と楊枝を使って取り除きました。するとファンの音が半減どころか全く気にならないくらいになりました。これにも驚きました。
今日の自転車の走行距離はおよそ16kmでした。わずか16kmですが身体は嬉々としています。自転車をフィットネスのツールとすることの効果はやはり大きい。爽快! ただ、手首は今も違和感があります。手首への負担の原因はフラットバーハンドルなのか、それもともフレームのジオメトリなのだろうか。おそらく後者とは思いながらもドロップハンドルの完成度の高さをあらためて感じています。この3連休にはCannondale Saecoと気のおけないツーリングをしたいものだ。

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