日別アーカイブ: 2009-02-04

生と死の個性

昨日のNHK「クローズアップ現代」は「“私の人工呼吸器を外してください”~「生と死」をめぐる議論~」でたいへん見応えのある内容でした。ゲストの柳田邦男さんのコメントがたいへん共感する内容でした。長くなりますが引用します。
「人間の命は生物学的な命だけではない、精神性をもった命の部分が非常に大切」「ひとりの個別性のある命、個別性のある死を社会が認めていく、一律に線引きをするものではない」「倫理委員会のようなものを二重構造で作る必要があるのではないか」「現場や本人の気持ちをくわしくわかり、リアルにそれを実感できる現場の医療機関の倫理委員会でとことん議論した上で、尚かつ死を選んだ場合、それが日本人にとってどんな意味があるのか、これからの社会制度にとってどんな意味があるのかを、より全体的な視野をもった専門家や、あるいは闘病経験者や難病患者、そういう人たちがとことん議論する国レベルの第三者機関的な倫理委員会が必要ではないか、そして、その倫理委員会で議論したこと、出した結論が絶えずオープンにされて国民全体が議論に参加できる、あるいは関心がもてる、そして、ひとつの結論を出した場合に、それが裁判の判例のように線引きのための前例ではなくて、次の方についてまた次の方の個別性、生と死の個性というものを十分議論してその人の中でもっともいいかたちの結論を出していく。それを5年10年と積み重ねていく努力が必要ではないか。そして、本人がいろいろ気兼ねしないような社会支援のシステム、どんなに苦しんでもそれを支えていくような社会システムが必要です。そして、それがまた生きている人を讃える、精神性の命を讃える文化が必要だと思います。」
たいへん重要なキーワードがいくつか出てきますが、私は「個別性」という言葉に注目しています。そして、この番組全体の基調をなすキーワードは「ナラティヴ」だったと思います。決心や揺れ動く葛藤、そのときそのときのその人の思考や思い、迷いや決断はそのときのものだけどそのときだけのものだけではないのです。その人がそう考えたり心に決めたりするにはそこに至るまでの時間と文脈があり、そこで終わりではなくその先まで続く今のものです。この時間と文脈をともにすることを保障する社会こそこれから築くべき社会なのではないでしょうか。生も死も個別性のあるものという謙虚な姿勢が大切にされるべきだと思います。まさに「精神性の命を讃える文化」です。
今夜のNHK「福祉ネットワーク シリーズ〜子どもたちを支えるために3」はボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」とCLS(チャイルド・ライフ・スペシャリスト)でした。ひとりひとりの子どもの夢や思いに寄り添いながらていねいに真摯にいっしょに糸を紡いでいくような日々の営みに私の目はただただ釘付けになるばかりでした。
フォーレのピアノ曲全集はジャン=ピエール・コラールのピアノで、録音は1973年から1983年にかけてのものなのに旧さを感じさせません。ピアノの音もなつかしい音です。この音はあの頃の音なのだろうか。聴き慣れた音です。