私のカラヤン

先月、昭和の日、伊勢の朝熊山のスカイラインをアテンザでドライブしているとき、FMのスイッチを入れたら豊穣な弦のアンサンブルが流れてきました。すぐには曲名を思い出せなくて、でも、きっとシューマンだろうと思いました。曲はピアノが入ってきて、そう、シューマンのピアノ協奏曲の3楽章でした。浴びるように聴いてしまう曲です。初めての曲でも誰の作品だかわかるときがあります。シューマンはただただ美しい。
携帯キャリアのサイトの「ピアノが好き♪」の書き込みが好きで時々読んでいます。ピアノが好きなことがストレートに伝わる記述がいい。曲のことが書いてあるとその曲が聴こえてくるようです。楽器店のピアノ売り場でピアノを選んでいる親子の姿も微笑ましくてとてもいいものです。いつまでもピアノが好きでいてほしいと、そんなことを思いながら近くで楽譜やピアノを見ている時間も好きです。
今朝の朝日新聞にカラヤンの特集記事がありました。私もカラヤンが好きでした。ドラマチックな音楽作りがたまらなく好きでした。当時の『月刊PLAYBOY』のインタビューがとりわけ興味を引きました。「あなたは感覚的ですか?」「私は感覚的です」そんなやりとりでした。感覚的はsinlichというよなスペルのドイツ語が併記してありました。「技術先行の演奏とレコーディングではないのか?」「私は私の感じるままに奏でているだけだ」 私もそうだと思った。突き詰めるとカラヤンの音楽になるのではないかと。それは研ぎ澄まされた感覚でこそ奏で得る音楽。私は自分のスピード好きを思うとカラヤンがジェット機を操縦したり大型バイクを駆っていたことが過る。モーツァルトの「レクイエム」K.626はカラヤンの演奏がいちばん好きでした。でも、カラヤンが好きだとはちょっと口に出せないのがその頃のクラシックファンでした。ところが、その後、カラヤンのモツレクをiTunesで購入したのですがあの頃のあのドラマは感じられない。彼の演奏が私の中で増幅されて私だけのカラヤンとなってしまったのでしょう。

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