日別アーカイブ: 2022-08-26

菰野ピアノ歴史館のピアノとグリモーの「皇帝」

誰でも特別な意味をもつ曲があると思っています。私も何曲かあります。そのなかの1曲がベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」です。この曲は曲者で何かの拍子にふと思い出すとしばらく頭のなかで鳴り続けます。今回はちょっと長めで1週間超になります。そもそものきっかけは菰野ピアノ歴史館でベートーヴェン時代のグランドピアノと出会ったことにあります。そのピアノはちょうど調律の途中で調律師からベートーヴェン時代等々の説明をしていただきました。フレームは木製、ピアノ線を留めるピンは木に打ち込んであるだけというもので、音は小さく柔らかくて筐体とも弱々しく思いました。「これで「皇帝」を弾いていたのですか?」と尋ねてしまいました。それからというもの私の「皇帝」を探してやっと見つけたのはエレーヌ・グリモーの演奏でした。「皇帝」の名盤とされる演奏は知らないでもなかったのですが、今の私が求めるものとはちょっとちがうと思っていました。エレーヌ・グリモーの演奏はウラディーミル・ユロフスキ指揮ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)です。グリモーのピアノがとにかく力強くダイナミックでCDの帯にあるようにこの曲の「野性的」な面を押し出しています。テンポも音もグリモーが自分で作りだしているような自由さが感じられます。とにかく明晰さが感じられます。面白い。音響的というか物理的な抜き出し感もある。オーケストラも同じベクトルで走る。ベートーヴェンもこんな演奏を思い描きながら作曲したのではないだろうかとさえ考えてしまいます。菰野ピアノ歴史館のベートーヴェン時代のピアノでは絶対に聴けないし今の私は聴きたくもありません。グリモーの「皇帝」をベートーヴェンの墓前で大音響で流したいと思う。

「皇帝」についてはかつてこのブログで取り上げています。2009年3月なので13年前の記事です。一部をコピペします。

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「河上徹太郎のベートーヴェン」
NHKのドラマ「白州次郎」第2回に河上徹太郎が登場します。東京の空襲で焼けだされた河上徹太郎が鶴川の白州邸に居候しているとき、彼がおもちゃのピアノでベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章のラスト2小節から第3楽章の冒頭を弾いて白州次郎の家族が聴き入るシーンがあります。こういうシーンに私はめっぽう弱い。至高の芸術は何が大切なのかを教えてくれる。太平洋戦争末期、おもちゃのピアノのベートーヴェンに農作業の手を止めて聴き入る白州次郎と正子、大根を洗う子どもたちの笑顔はひとときの輝きと戦争の愚かさを同時に表しているように思います。逆境のときふれる至高の芸術は何ものにも換え難い支えだ。白州邸の縁側に寝そべって「ピアノが弾きてえ」と右手の指を腹の上で鍵盤をなぞるように動かすシーンも「わかるわかる」とうなずいてしまいました。これこそフィクションだと思いますが許そうというものです。ただ、河上徹太郎がピアノ弾きであったことだけは事実と思いたい。
(中略)
この曲で忘れられないのは市民オーケストラの練習での出来事です。ピアニストが冒頭のカデンツ風のパッセージに続くEフラットの和音をフォルテッシモで鳴らしたとき、そのピアノの調律のずれが目に見えるほどの鮮明さでわかったのです。それは唖然とするほどで、私はプロのピアニストの技量に驚くばかりでした。「皇帝」を聴くたびに思い出す出来事です。
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ところで菰野ピアノ歴史館は古いピアノを集めて修復して演奏可能となってものを展示して1コインをプラスすれば弾くこともできます。古い楽器はいろんなところで見る機会がありましたが手を触れたり音を出したりすることができる状態で見るのは初めてでした。また、修復中や修復を待つピアノがあるバックヤードも見せていただきました。どちらかというと修復前のピアノの方がメッセージをたくさん発しているようでした。「このほこりは200年前のロンドンのほこりかもしれません」という調律師の説明は耳から離れません。いつかほこりがかかったままで写真に撮りたいと思いました。