言葉について考えたこと

古書店で石田昌隆著(写真・文)「オルタナティブ・ミュージック」(ミュージック・マガジン増刊2009.7)を手にして開けたページの冒頭を目にしたそのときからこの本の虜になったように感じました。「オルタナティブ」とは件の「alternative fact」で注目された単語ですが、自分たちの表現を求めて活動する音楽家たちと著者の息遣いのリアル感が素敵です。存じ上げなかったのですが石田氏は音楽関係を撮るフォトグラファーとのこと。この本の音楽家たちの写真は6×6で撮ったものとか。2009年というと私のEOS 5D markiiが発売された翌年でコマーシャル関係もデジタルに移行した頃ですが、この本は1986年から2004年までに撮影された写真が取り上げられているのでフィルム熟成期のものです。構えて撮影されたポートレートから伝わる人物の存在感、それはいったい何なのだろう。いいものだ。でも、私がいちばん惹かれたのは石田氏の文です。自分と音楽や音楽家との出会いの経緯やそのときの心の動きが澱みなく綴られていてすっと読める。人は思春期にこうして音楽を知っていくんだと彼の物語に共感してしまう。年齢が1つ先輩というのも身近に感じる要因だろう。また、音楽家たちの国や地域の社会や文化、政治の状況についても描かれていて背景がわかるのもすごくいい。読み進めるのが楽しみです。こうした本との出会いはやっぱり古書店を見て回るしかありません。

古書店を渡り歩いた後は岩波ホールで映画「ゲッベルスと私」を観ました。内容も映像も圧倒されました。映像とは撮影も含んでのものです。珍しく「プログラム」を買い求めました。しばらくは思い返しては考えることになるでしょう。

ここしばらくNHKなどのメディアの印象が少し変わってきたように感じています。これまでマスメディアの表面にあまり出なかった情報やその出し方です。それが何なのかを追究するわけではありませんが、そうしたことも含んで冷静に判断していきたいと思うのです。「ゲッベルスと私」の日本語字幕の「総力戦」は英語字幕で「total war」とありました。調べる(weblio)と「total」には「国家全体の力を出しての」という意味もありました。そうした「total」の意味を知らないと認識が大きく違ってきます。3月に放送されたNHKの「100分deメディア論」で高橋源一郎氏から言葉の意味が無くなってきていること、無くされてきていることについて指摘がありました。情報が溢れているようで実は閉ざされている情報があるということを肝に銘じたい。語源や用法の移り変わりも注意していきたいと思う。

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