病弱教育の歴史

この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。

「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚気(かっけ)を発症して授業を続けることが困難になり、菰野の湯の山温泉付近に生徒を移してそこで授業を継続したという記録が残っています。興味深いのは、運搬が困難だった教材等を使う学習を省いて他の学習を進めたところ学習進度に偏りが生じたので挽回に努め、また、履修規則を変更したり授業時間を増やしたりして、さらに授業方法を改良したところ学業の進歩に「見るべきもの」があったということです。「病気が治ってから勉強しようね」ではなく、生徒をまとめて転地療養させただけでなく、学習内容を弾力的に扱って勉強を続けましょう、時には履修規則も変えましょうという思い切った対応がとられたわけです。当時の日本の国民の健康状態は決してよいものではなく、特別支援教育(障がい児教育)という枠組みではなく保健衛生の観点からこうした発想となったようですが、ここには現在の病弱教育にも通じる考え方や対応が含まれているように思います。」

やや意訳もありますが当時の配慮の趣旨に沿って現代語訳で要約したつもりです。実際のところはどうだったのかという疑問があります。昨年の夏の終わりに菰野の湯の山温泉付近を訪れて菰野町立図書館でも町史などの資料を当たりましたが手がかりはありませんでした。いつかまとまった時間ができたら現地調査をしたいと思っています。

病弱教育の歴史は国民の健康や保健衛生の状況の変遷とともに課題も対応も移り変わってきた経緯があります。変わってきたというより柔軟に対応してきたという方が実際のところだったと思います。健康は社会の状況によってあり様が変わってきます。指向する健康もちがってきます。もちろん心身にわたる健康という意味です。疾患構造の変化等をすべて社会状況と関連付けることはできませんが、病弱教育はそうした社会(家庭も含みます)の状況による心身の不調に困っているその時々の子どもたちを支えるスタンスを取り続けてきているものと考えています。この先もこのスタンスは受け継がれていくことと思っています。このことを忘れないためにも病弱教育の歴史を振り返って史実を明らかにすることは大切だと考えます。

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