読書の秋に思う

今日は山間部の高校に出張でした。道中のよく手入れされた田畑や里山は曇り空の下でただただ静かでした。こんな冷たい晩秋の日もいいものだと思いました。

本を読む時間は限られていますが気になる本で絶版になっているものは押さえておきたいと買い求めます。ここのところとりわけ新潮社のクレストブックスがそうした本です。T.E.カーハート著、村松潔訳「パリ左岸のピアノ工房」(新潮クレスト・ブックス 2001)がそもそもの始まりでした。残念ながらこうした本は地方ではなかなか店頭でお目にかかるものではありません。手の届く価格のうちにと思うとますます本が増えます。

先月泊まった東京のホテルでは朝日新聞が無料サービスでした。その読書欄より(20161023朝日新聞朝刊読書欄「ひもとく 本で「つながる」翻訳家・文芸評論家 鴻巣友季子)

「今年は、『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社2376円)という翻訳書も出たが、人は極限状態でも、本を読む。言葉と想像力は人間の尊厳と生命力の礎だー 『戦地の図書館』は第2次世界大戦中、米国で発刊された「兵隊文庫」の活動を詳しく伝える。書物の威力を知っていたからこそナチスは1億冊もの本を焚書・発禁とし、米軍はそれを上回る1億2300万冊余の本をペーパーバックにして戦地に送り続けた。日本が贅沢を封じていた頃、米国兵はヘミングウェイやディケンズを読んでいたのかという感慨もさりながら、衝撃的なのは米国の選書方法だ。例えば『They Were Expendable(兵士は使い捨て)』という体験記が真っ先に「必須図書」に選ばれた。日本軍とのフィリピン戦で米兵が駒として消耗される現実を描く作品だ。「自分たちがなんのために戦っているのか知る権利が、兵士にはある」と軍も検閲に抗して主張した。(改行)知り考えることで、意味のない戦いを避け、平和の早い訪れを願う。こんな考えを現在の米国も世界中の国も持っていたなら、「聖戦」という幻のもとに無数の命と人間性が失われることもないだろう。しかもこんな選書は文字に対する信頼がなければできない。文学にふたたび力を、と願わずにもいられない。」

「人は極限状態でも、本を読む」の「極限状態」とは何も戦争や災害時に限ったものではなく、誰もが日常で出会るチュエーションでもあります。つらいとき、苦しいとき、出口が見つからないとき、追い込まれたとき、それはその人の極限状態と言えます。こんなとき、何かを決めたり行動するのではなく、ポーズ(一時停止)のボタンを押して本を開いて読むのです。すると自分を見つめる自分が現れます。自分を周りの状況とともに客観的にみることで大事なものは何かがわかってくるようになって冷静な判断ができるようになります。文学書を開いて活字を追う。写真集もいい。現実の厳しい状況は変わらなくても周囲の雑音に惑わされることなく前に進もうという気持ちになります。忙しいほど本を読みたくなるものだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です