春を前にして

幸せの黄色いビオラになってほしいと植えたビオラがいよいよ咲き誇る頃となってきました。ポットからこぼれるばかりの花です。風は冷たいものの春間近を実感します。
カザルスが弾くバッハの無伴奏チェロソナタのCDが届きました。今まで持ってなかったのが不思議なくらいです。学生の頃、当時はレコードが高価でなかなか買えなくてあきらめていました。それだけに懐かしさもあり、また、新鮮です。70年も前の演奏なのにどうして同時代性を感じるのか。それは瑞々しさゆえかも知れません。どの時代にあっても瑞々しい演奏は瑞々しい。演奏の瑞々しさは型通りではないということ、斬新であるということ、自分の感じ方を率直に表していること、楽曲に謙虚であることから生まれるように思います。
またある夜はフォーレの歌曲を聴き続ける。あびるように聴く。歌曲というと堅い印象ですが、フォーレ歌曲全集には「MÉLODIES」とあります。アメリングとスゼーの歌はもちろん素晴らしく、ボールドウィンのピアノも音に輝きがあってとてもいい。遠いなつかしい音を聴くようです。音楽に心も身体もあずけて新しい扉を開きたい。
アップルストアでMacBook Airを見て、あぁ、早まったかな・・・と思いました。心機一転、モバイルにThinkPad X201sをオーダーしたばかりです。MacBook Airは最後まで候補でしたが、重量とバッテリー駆動時間の厳しい詰めで落ちました。MacBook Airはそんなに軽いわけではない。壊れたら自分で直すのは難しい。キーボード部分の高さがある程度ないとデスク上で埋もれてしまう等々の杞憂からThinkPadにしました。でも、MacBook Airの実物を見るとやはり美しい。なぜこれではいけなかったのかという理由を繰り返しながら帰ってきました。アップルストアに行くときっとそんな迷いが甦ると思いながらも足が向いてしまうのでした。一方で、ThinkPadはこれはこれで535Eから12年ぶりの回帰ともいうべきいきさつがあります。ThinkPadは私にとってWindowsではなくてThinkPadなのです。OSは何でもいいといっていいくらいです。iPadもエントリーできないかと少し調べてみましたが、どう考えても一太郎は使えないので早々にはずれました。あと、手帖もリフィルをFILOFAXの1日1頁とマンスリーにしてB5のミシン目入りノートも併用することにしました。いつの間にかアナログツールはどんどんシンプルになっていきます。機動力を上げることが目的です。
教育の仕組みを語るとき、理念とともにコンテンツ(内容)について語ることがたいへん重要だと考えています。教育のコンテンツは実践の積み上げとともにその時々の社会を分析する知見とプロセスから吟味され続けなければなりません。昨夜の「情熱大陸」はスタイリストの菊池京子でした。シンプルでベーシックなのにとても斬新。新しいものを生みだすプロセスは平坦ではない。苦闘の中から生まれるといっていい。苦闘する相手は自分であり、人とはコミュニケーションを重ねることが大事。関係性の高まりが教育の空間を豊かにする。

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