日別アーカイブ: 2006-04-16

ナージャの村

■4月のポコ・ア・ポコは17家族のみなさんに来ていただきました。活発なお子さんも多かった中、静の共有がしっかりできてただただ感心です。その静こそ価値ある文脈の共有の姿です。今日は見学の方もみえて皆さんに助けていただきました。感謝しています。
■このところまたまた音楽にはまっています。iTunesとMusic Storeは常習性を誘う厄介者だと思う。iPodの購入も今や時間の問題です。iTunesのフォーマットもMP3からAACに変更しました。ますますジョブスの思うつぼに入ってしまう。でも、Appleの理念はそれだけ私のニーズに応え得るパラダイムを備えているのだと思います。仕事はWindowsですがプライベートはWindowsには戻れないと思います。それにしてもiTunesとMacはどういう仕組みになっているのかわかりませんが、WordやExcelを使いながらCDからの読み込みをしてもエラーは全くありません。ライブラリーを再生しながらのCDからの読み込みも問題はありません。私が使って来たWindowsでは考えられない安定感です。私のPowerBookは今やジュークボックスです。AACフォーマットに圧縮するのでHDDは余裕があります。CDアルバム1枚が50MB前後なので1Gで20枚、100枚で5G程度です。30GのiPodだと600枚分も入ります。私のPowerBookのiTuensのライブラリーを数えたらすでに100枚を超えていました。フォーレの歌曲全集も全115曲を読み込んでますます楽しみです。聴きたい音楽がクリック2~3回ですぐ聴ける環境は音楽好きにはたまらない。ジョブスはそこまで見通していたのかと思うとすごいとしかいいようがありません。
■先日、iTunes Music Storeでカラヤン指揮のモーツァルトのレクイエムK.626を購入しました。この曲はカラヤンの演奏がいちばんのお気に入りです。私がカラヤンを好きな理由はスピード感と構造感です。でも、デジタル環境ではそれがいまひとつ感じられないところが不思議です。逆に、デジタル環境だとこれまで聴きづらかった音が聴こえる録音もありますが、演奏はその時代、日々、コンテンポラリーを反映するものです。旧い演奏が今ひとつしっくりこないのはそこだと思う。なんとなくギャップを感じてしまう。旧い演奏はどう聴いても旧い。もちろん、演奏そのものの価値は別で、旧くても色褪せるものではありません。それをわかっていても私はいつも新しい演奏、音楽を求めてしまいます。
■古澤巌の「チャールダーシュ」をiTunesのイコライザーをAcoustic設定で聴くとオブリガートを奏でるクラリネットがはっきり聴こえて、これがすごくいい。私はオブリガートを聴くのも好きですが自分で即興で付けるのも好きで、もっぱら鍵盤ハーモニカを使っていました。と、過去形なのは、今やそんな機会はなくなってしまったからです。
■それでも学校現場に勤務していると時に音楽に係わる仕事もあって、先週、シーケンスソフトXGworksをセットアップしました。「おかあさんといっしょ」の「にじのむこうに」など、かつて打ち込んだ曲をあれこれ聴いて、やっぱりいいなぁとしみじみ思いました。何がいいって、アレンジと打ち込みは音楽の醍醐味そのものだし、自分で打ち込んだ演奏のコンサートで子どもたちに楽しんでもらえたことです。そのコンサートは2001年のことだからもう5年も前のこと、またコンサートをしたいと思っています。そうそう、YAMAHAのXG音源の音のよさも再認識です。
■Macのプレインストール音楽ソフトにGarageBandがあります。これもシーケンスソフトです。昨日は詳しいガイドブックを買ってきました。『Mac Fan GarageBand2マスターブック』(毎日コミュニケーションズ 2005) Ver.2から五線譜も使えるとか! これは楽しみです。
■“精神病”が脳機能の不具合という医学モデルは明らかになってきており、社会モデルとしての“精神病”がこれからの課題であることもまた明らかです。4月始めに県内の精神病院の文化祭に行って患者さんたちのおだやかな表情に心を打たれるものがありました。そこには“発達”というパラダイムはありません。今、今今、この刹那を価値あらしめるパダライムこそ真の価値なのだと思いました。
■今夜、NHK-TVでチェルノブイリの原発事故のその後の特集番組がありました。『ナージャの村』(写真:本橋成一 1998 平凡社)のその後です。次々と癌に倒れる人々と家族の姿はあまりに哀しい。私たちはどこに向かおうとしているのか、次の世代に何を残し得るのか!? 今夜は本田美奈子が聴きたくなります。