日別アーカイブ: 2002-11-03

ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法

■11月2~3日と、財団法人ひょうご子どもと家庭福祉財団主催の第101回療育研修会「特別な配慮を必要とする子どもたちのための音楽療法」に行ってきました。会場は兵庫県三田市の“さんだ子ども発達支援センター”です。講師は千葉県の船橋音楽療法研究室主宰の濱谷紀子先生・同研究室所属の益山ゆき先生です。2日間、延べ10時間、まさに音楽漬けでした。
■カテゴリーでは、ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法です。私はノードフ&ロビンズ共著の『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998)を座右の書としながらも、ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法のセッションの実際についてはあまり知りませんでした。今回、数々のセッションの記録ビデオを見ながら説明を聴いて、また、実習もすることができ、その核心に触れた思いがしました。2日間にわたる研修で、私は音楽以外の仕事に復帰できるかどうか不安になったくらいです。すばらしい研修を提供していただいた濱谷先生と益山先生に心から感謝しています。
■濱谷先生はニューヨーク大学のノードフ&ロビンズ音楽療法センターに留学し、デュプロマの資格を取得されています。45歳を過ぎてからの留学とのこと、その精力的な勉強の姿勢に自分が恥ずかしくなってしまいました。
■研修の中で何回か説明があったことで、音楽療法はゴールを設定し、ゴールに到達した時点でセッションが終結することは、音楽療法が「療法」である以上いつか終結することはわかっていながらも、教育職の私にはどうもなじめない考え方です。どこかプラグマティックでアメリカ的です。ミュージック・ケアの考え方とちがう点といっていいでしょう。ミュージック・ケアは教育的な色彩が色濃くあります。
■しかし、ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法のパワーは相当なものと感じました。ゴールへのベクトルの強さも、ピアノ演奏の技術のレベルの高さもカルチャーショックといえるほどでした。実習は緊迫感がありましたが追い込まれている感じではなく、むしろ心は解放されていくように思いました。音楽療法は芸術レベルの追求ではない。でも、「アート」の現場の真っ只中にいる自分を感じていました。これは意外な体験でした。でも、それだけ至高の非日常体験だったといえるわけで、今、こうして家でパソコンのキーを打っていてもどこかしらちがう自分を感じる。それは何だ!というわけです。たいへんヒューマニスティックな音楽療法と実感しました。
■音楽は「原形」が大事だという話があって納得するところでした。世界中で生まれてきた音楽にはそれぞれ背景がある。砂漠ではミドル・イースタン、スペインのフラメンコ、日本の民謡、アメリカのブルース、みなそれぞれに自然と人々の生活が背景にある。それだけに人の心奥深く訴えるものがある。デリカシーもパワーもあるのです。
■今回、使った楽器はすべてアコースティックでした。ピアノはこの研修のためにわざわざ運び込んだとのこと。アップライトでしたが調律がきっちりしてあって気持ちのいい音でした。もちろん、益山先生のテクニックに負うところが大きくて、私もアコピの練習は続けようとあらためて思ったのです。
■それと、ピアノの即興弾きです。ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法はクライエントの声や動きからテーマを設定し、即興で音楽を作り、展開してクライエントとかかわっていくのがセッションの主なスタイルです。2日間、ピアノのすぐ横の最前列の席を確保して益山先生の演奏を肌で感じてきました。これもカルチャーショックでした。今まで知らなかった音たちでした。親しみがあってシンプルでわかりやすく働きかけがはっきりしいて音そのものがすごくきれいでした。ノウハウはあるにしても自分で見つけなければならない音でした。
■夜は“県人会”の飲み会となって、県内外の音楽療法について情報交換ができてこれも大事な研修でした。
■昼の研修でも夜の研修でも話題になったことで、「学校」には音楽療法はなじまないということがあります。音楽療法と学校とでは、子どもと音楽とのかかわりの評価が全くちがってしまっているからです。ですから、私自身、音楽療法の曲を授業で使うことにとても慎重です。音楽療法の曲が「結果」が出やすいのは当然です。子どもを支え、子どもが主体的なアクションを起こしやすいように作られているからです。しかし、ゴールもちがうが評価の観点もちがう。子どもが何ができるか、つまり、Doingに主眼がおかれがちな学校現場では、子どもが音楽と今どうかかわっているかということ、Beingを大事にする音楽療法の考え方は相容れないのが現状です。子どもの理解のベクトルがちがうのだと思っています。夜の県人会でこんなエピソードを聞きました。「学校でも病院でも『がんばれ、がんばれ』と言われる。でも、ここ(音楽療法のセッション)では『がんばれ』と言われないからほっとする!」これは障害がある子どものお母さんの言葉です。障害のあるなしにかかわらず、子どもたちが音楽といい出会い方をしてほしいと私は心から願っています。
■子どもの見方、ということでは、自閉症スペクトラム障害の子どもの理解がやはり気になりました。自閉症スペクトラム障害の子が何をどう感じているかということはハイファンクションの自閉症スペクトラム障害の人たちの体験によって明らかにされてきつつあります。このところカバンに入れて読み返している本は、酒木保の『自閉症の子どもたち~心は本当に閉ざされているのか~』(PHP新書 2001)です。自閉症の子どものものの感じ方に“こだわって”踏み入る彼の感性に共感を覚えます。
■そうそう、先週、「秋のイタリア料理教室」に行ってきました。メニューは①温野菜のバーニャカウダソース②豚肉のカツレツ、ミラノ風③じゃがいものニョッキです。シェフの一言一言、一挙一動からノウハウを盗もうと乗り込みましたが、調理が始まって私がいちばんはじめにしたことは3本の包丁を砥ぐことでした…(>_<)