日別アーカイブ: 2001-05-20

ニューヨーク・ニューヨーク!

■私のお気に入りのテレビ番組にNHK-BSの『NEWYORKERS』があります。この番組に限らず、アメリカ合衆国(以下「アメリカ」)を取り上げた番組はけっこう意識して見ています。私はアメリカが好きなのかも知れません。
■1989年春、新潮社の『小説新潮』3月号臨時増刊として『アメリカ青春小説特集』というMOOKが出ました。冒頭から始まる特集「アメリカ作家の仕事場」は、それまで日本の作家たちの、ちらかった書斎の写真ばかり見ていた私にはとても新鮮でした。日本の作家たちはそこで「貧乏、酒、浮気」という宿命を負って原稿用紙に向かっているかのような印象がありましたが、アメリカの作家たちは、明るい部屋でタイプライターやコンピュータ、あるいはスパイラルノートや3ホールのルーズリーフを前にしてカメラに向かって微笑んでいました。
■いつだったか、こんな話を聞いたことがあります。日本語で書く小説はよく売れても100万部だが、英語で書く小説は英語を話す国でそのまま出版できるので桁違いなセラーを記録する。だから1つの作品による収入も多くて、次の作品のための構想と取材に必要な十分な時間を使うことができる。それだけに大作が生まれやすいと。
■『アメリカ青春小説特集』に取り上げられた20代30代の作家たちは私にとってたいへん魅力的でした。同じ歳の作家を探しました。ローリー・ムーアがいました。このGWに書店でローリー・ムーアの本を見つけたとき、ふと、自分は取り残されているのではないのかという観念に襲われてしまいました。彼女は私と同じ年に生まれました。それぞれに歩む道がちがうことはわかっていても、時間の流れ方のちがいまでも受け入れるほど私には心のゆとりがないように感じました。『アメリカ青春小説特集』の取材を受けた時、彼女は勤務先のウィスコンシン大学から奨学金が出ているので小説の執筆に専念していられるとのことでした。こんな時間の使い方は私には与えられない。自ら求めるならリスクも付いてくる。ひとりの人間が生み出すものにそれだけ期待し、投資し得る社会の背景にある文化の深さ、あるいは寛容さ、あるいは貪欲さに私はため息をもらしました。それだけアメリカはふところが深いのでしょうか。とにもかくにもローリー・ムーアは小説を書き続けていました。
■NHK-BSの『NEWYORKERS』には“自分探し”にこだわる人たちがとり上げられています。その中の何人かは成功し、何人かはつつましく自分なりの暮らしをしています。いずれにせよ、私には魅力ある生き方に映ります。アメリカンドリームをものにできなくても、多様な生き方がそれぞれ認められる街、それがニューヨークといったら笑われるでしょうか。ウェブサイトを渡り歩いてもそんな印象があります。自分探しの旅先にニューヨークを選ぶ人は少なくありません。私もそのひとりになるのかも知れません。